「自分の知識・経験だけに頼み、学ぶ心を失った傲慢、他者の話を聞かぬ高慢さこそ、破滅の道を歩み始めている兆候である。」
(「スッタニパータ/第1経/断片104」講談社学術文庫)
歩きスマホ、ながらスマホ等々、
他者の存在を軽んじる情動も、傲慢の最たるものであるようにも思われます。
「ゼノンは 『うぬぼれ、思い上がり、知ったかぶり、傲慢ほど醜悪なる悪徳はない』と言った。」
───(「ギリシャ哲学者列伝」ディオゲネス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
IT、投資家等々、一つのことに秀でただけで傲慢になる者。
その己の傲慢さにも気づかぬ高慢、見た目だけ人並を装う虚飾と虚栄も傲慢、それが傲慢ゆえであるということにも気づかぬ高慢。
そして何より!
ココにこのようなことを書き記している僕の傲慢に、
僕自身が呆れ、恐れおののいてもいるのです。
「愚者とは交わらず、賢者と交わり、敬うべきを敬い、慕うべくを慕う。これが幸福を呼ぶ」
(「スッタニパータ/第4経/断片259」講談社学術文庫)
己が好きな人とだけ交わり、
己が好きなことだけをしていても幸福になれるのなら、
人生は容易いものであり誰も悩んだりはしない。
己を滅し、己の総合的幸福のためにも
賢者との交わりが大切であるということなのかも知れません。
「有能な人は、賢者と付き合いたいと思うのが、賢い人生、賢者への道を歩む第一歩となり得るのである。
大事なのは愚かな友人よりも賢者の知恵なのだ。」
(「賢人の知恵」バルタザール)
「ヒエロス・ロコス 11」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12562061067.html
そして、パートナの選択も、
これに準ずるものなのかも知れません。
「愛の完結は、知の豊かなる者と知の欠乏を感じている者との性交によりイデアとなる。」
(ゼウスの伝道者ディオティマ──「饗宴」プラトン)
「ゼノン 14」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12575257226.html
僕はけっして断じて知が豊かではないけれど、
僕のことをそのように誤解曲解してくれていて、
その人自身は自分には知が欠乏していると思い込んでいる賢き人と歓びを共有しているようです。
「悪を離れ、酒を飲まず、清貧・清廉・清浄な生活の実践に邁進する。
これが幸福を呼ぶ。」
(「スッタニパータ/第6経/断片264」講談社学術文庫)
現在実践中。
「時に応じて真理についての議論に花咲かすこと。
これが幸福を呼ぶ。」
(「スッタニパータ/第6経/断片266」講談社学術文庫)
これも多いに実践中ではあるが、
終局も見え隠れしているような気もしないでもないのです。
・・・せつない・・・寂しい・・・。