主の伝道者ディオティマの問い。
「あなたは今、本当に幸せですか?」
この問いに、神々の前で誓って「はい」と応えられる人が
いったいどのくらいいるのでしょう。
「ゼノンは劇場に出かけキタラの弾き語りを聞き終わるやいなや、『さあ、我々も奏者と懇意にして学ぼうではないか。獣の腸や筋や骨や木切れが列と数を重ねる時、ロゴス(言語、論理)はたちまちどのような音階と響きを発するものであるのかを』と言った。」
───(「論理的徳について」プルタルコス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
ゼノンは物事をすべて真理摂理論理=自然本性に
照らし合わせ、その真贋、真実を見極めようと
努め続けたようです。
キタラの音色と旋律、人の声色と強弱等々、一つの状況には
様々な因子が複合的に絡み合い、様々な面を現している。
その因果、複合の仕方をすべて理解したうえで、
キタラの弾き語りをも人間として楽しむべきであるというのが、
ゼノン流=ストア哲学のスタイルであるのかも知れません。
───ディオティマ vs ソクラテス───プラトン───
「ディオティマの教え」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120522.html
ディオティマの問いに単純に「はい」または「いいえ」または
「わからない」と応えられる人は単純無知愚直な傲慢者である
可能性もないとは言い切れぬようにも思われなくもないのです。
「ゼノンは、『大衆にはロゴス(言葉と論理摂理)を好む者は少なく、言葉だけを言い立てる愚か者がいる』と言った。」
───(「精華集第三巻」ストパイオス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
語源、言葉の真意深意も知らずに話す人は傲慢であり
思い上がり甚だしく愚かである。
ロゴスと自然本性を探究し語る者の中には智者も紛れ込んでいる
場合も多いということなのかも知れませんね。
「ゼノンは、知恵と知識、哲学と真理、真実と万有の摂理を固い蝋(ロウ)の板に例え、『刻み込むのは大変だが、一度刻み込まれたことはいつまでも残る』と言っていた。」
───(「ギリシャ哲学者列伝」ディオゲネス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
学ぶは困難、学ばぬは軽薄で容易いが、
学は宝となり生涯心に残り、
軽薄は容易く安易傲慢思い上がりの人格を人に植え付ける
ということのようにも思われます。
「ロゴスも自然本性も探究せぬ者が、品のない語り方で論じ、まくし立て、そこに大きな矛盾と偏狭が多く含まれるのを見ていたゼノンは、『君の両親が酒を飲み酩酊状態で君を作ったのでなければ、君のような存在はありえぬことであろう』と吐き捨てた。」
───(「ギリシャ哲学者列伝」ディオゲネス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
ゼノンに一喝された人は、誰もが見たことのある、
どこにでもいるような人間であるようにも思われます。
「だからディオゲネスも、興奮してしゃべり、浮かれて笑い、まくし立てている者を見て、『君の父親は君を身籠らせたとき酔っぱらっていたのだ』と言ったのだ。」
───(「子の教育」プルタルコス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
独りではおとなしく目立たず、薄弱で小心な人に限って、
また見た目醜くブサイクである人に限って、群れれば常軌を逸し
浮かれ過ぎはしゃぎ過ぎる傾向が強くなるのかも知れません。