「ストア派の祖ゼノンは黄泉の国が存在すると考え、敬虔な人のいるところと不敬虔な人のいるところを区別した。
敬虔な人は静かで快適な場所に住み、不敬虔な人は暗闇の中の、身の毛もよだつ汚い淵で罰を受けると言う。」
───(「信仰提要」ラクタンティウス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
天国と地獄という考え方ですね。
そんなものがあるのかないのかは別にして、
そのように考えることで自分を律し、聖浄・清貧・聖賢・神聖
なる生活を送ることが可能となるのであるのなら、
歓んで天国と地獄という考え方も受け容れたいと思います。
「14歳。このときまでに我々の中に完全なるロゴス(論理理性法則)が現れる。
このことはアリストテレスやゼノン、ディオゲネスやピタゴラスも同じ見解を示している。」
───(「アルキビアデス」プラトン)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
14歳といえば中学生。
思えば僕も14歳ころが一番読書量も不良非行度も所属したスポーツの部活、通ったジム、道場等々の質量も、最も盛んであった時期であったとも思われます。
そして高校大学とモテ期が最盛を迎えるとともに、それらすべての修練量も質もガタンと音を立てるかのように減少していったのでした。
「われわれの精神は、20歳までにはかなりの成長をとげて、その先どうなるのかもわかる。
その年齢(20才)になっても、能力のほどの明らかな証拠を現せないような人間は、その後も実際に能力を発揮することはまずない」
───(「エセー」モンテーニュ)───
───「ジャン=ジャック・ルソー 40(了)」───
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12535481386.html
が、すべてにおいて諦めるという情動は必要ない。
僕は65歳にしてようやく清貧・清廉潔白に目覚め、
65歳の老いぼれオンボロにして、その真髄を学ぶことに、
残された時間を捧げようとも思っているくらいなのですから。
「ゼノンは、『人は存在しないものに対して合理的に敬うことなどはできない。人は無意識にでも神々を敬っている。ゆえに神々は存在するのである。』と言った。
──「学者たちへの論壇集」セクストス・エンペイリコス)──
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
無信仰・無神論者の僕でさえ、なんとなく神々を慕い、
敬い、神々に好かれたいという欲望は持っているようです。
「ゼノンは、自然の摂理、本性的な法こそが神であると考え、これが正しいことを人間に命じ、その反対のことを禁止する力を人間に与えていると示した。
ゼノンがこの法をどのようにして生けるものとすることができるのか、我々としては理解できないが、しかし我々としてはもちろんゼノンが、彼のいう神を生かしきることを望んでいる。
そしてゼノンは、神々について一般に受け入れられている名前と見解を完全に否定し排除し、名前を呼ばれるような神は神々の中に存在せず、それらのものは単なる表示方法の一つに過ぎないと教えているのだ。」
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
ブッダだけが「神の名前」ではなく人名であり、
仏法と般若心経だけが宗教ではなく哲学である
とも思われなくもないようにも思われます。
「般若オールマイティー2」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120383.html
「ゼノンはまた、ガイア、アイテール等の原初神・天空神が神々であり、それは摂理と理性を神と崇めることに等しいとも言っている。」
───(「神々の本性について」キケロ)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)