アウレリウスの独り言 45 (了) | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

マルクス・アウレリウスは哲学者にして皇帝。

ストア哲学の象徴ともされる肉体の鍛錬と精神の安寧だけを

 

至高とする書斎人でありたかったアウレリウスにとって、

政治の社会に生きなければならなかった孤独と理不尽と矛盾は、

 

自ら「自省録」を記すにあたって、

「君」と呼び掛けているのは、自分への言葉と節制に

ほかならなかったのかとも思われます。

 

我々も、現代社会、日本という国、

二つの醜悪なる環境が重なり合った環境におかれて、

 

孤独と理不尽と矛盾に苛まれているのかも知れません。

 

アウレリウスが「自省録」を記すことでそうしたように、

いや、アウレリウスは「自省録」で

自己制約、節制を目指したのに対して、

 

僕も僕なりにアウレリウスの「自省録」を前向きにとらえ、

アウレリウスの「自省録」を自己解放、自分肯定、現実肯定

として扱わせていただいたようです。

 

賢人アウレリウスの「皇帝」と、凡人である僕の「肯定」は

かくも違ってくるものかとも実感しております。

 

が、

ともすればストウィックで堅苦しく扱われがちなストア哲学を

少しでも明朗活発であるべく僕なりの解釈によって、

 

少しは学習させていただいたような気もしないでもないのです。

 

「哲学するには、君の現在あるがままの生活状態ほど適しているものは他にないのだ。

 このことが何とはっきり思い知らされることか。」

(「自省録」マルクス・アウレリウス)

 

日常のありとあらゆる状況において、どれだけ考えるのか、

そうでもないのかによって、

我々の人生はいかようにも変化決定されてしまうようです。

 

アウレリウスのような天才、才人、賢人、人類唯一の

哲学者にして皇帝である人でさえも人生を苦慮し自問する。

 

ましてや凡人が何も考えなければ、または物事を深く

掘り下げて、その真実真理を見極める努力を惜しむなら、

 

そこにはそれなりの人生しか残されていなくても

アタリマエといえばアタリマエであるようにも思われます。

 

「君を操っている者は君の内に隠れているものであることを記憶せよ。

 それが言葉であり、生命であり、いわば人間そのものなのである。」

(「自省録」マルクス・アウレリウス)

 

人生は己の内の知性理性、真実真理そのもの。

すべては己の身から出ること。

 

アウレリウスは、それが言葉、生命、

人間として神聖なるものとして扱っている。

 

言葉に疎い者は、生命としても神聖さに欠ける。

言葉を探求せぬ者は、人間としても神聖さに欠けている

といっても過言でもないのかも知れません。

 

「あらゆる行動に際して一歩ごとに立ち止まり、自ら問うて見よ。

『死ねばこれができなくなるという理由で死が恐れるべきものとなるだろうか』と。」

(「自省録」マルクス・アウレリウス)

 

アウレリウスのように生きた人にとっては、

死は安らぎであり、安寧であり、平安となる。

 

僕にとっても死は安らぎであり休息であり平安である。

が、

僕にとって死が、愛する人との対話、談話、快楽の時間を

消滅させてしまうことを思えば、未だにそれらが悠久、永遠で

あってほしいなどと未練たらしく思われる時もないとは

言い切れぬような気もしないでもないのです。

 

「善い人間のあり方如何について論ずるのは、もういい加減で切り上げて、善い人間になったらどうだ!」

(「自省録」マルクス・アウレリウス)

 

そうありたい。

が、そう成り切れない自分を切磋琢磨するために、

 

65年もかけて知と経験を探求してきた。

が、そう成り切れないので、今までも、これからも、

 

心身の鍛錬を続けることにする。

が、その情動こそが僕の平安安寧であることには、

 

少しは気付かされてきたような気もしないでもないのです。

 

さて、それではいよいよ、

マルクス・アウレリウス「自省録」最後の言葉

(「自省録」第12巻36章)です。

 

「結末を定める者はほかでもない。かつては君を構成し(誕生させ)、現在は君を解体する(死へと誘う)責任を負うた者

──宇宙という悠久、自然という環境と論理、そして宇宙と自然というアタリマエの悠久

──ときにこれを人は神と呼ぶけど、それはけっしてキリスト教等々のいう宗教上の神などとはまったく似ても似つかぬものであるとも思われなくもないのです。──なのである。

 君はいずれに対しても──生まれたことにも死ぬことにも──責任はない。

 だから満足して去って行くが良い。

 君を解雇する者──人生という職場から追放または解放する宇宙の自然の流れ、アタリマエの自然的論理──も満足していられるのだ。」

(「自省録」マルクス・アウレリウス)

 

お疲れさまでした。

そしてありがとうございます。