「君が自分に楽しい思いをさせてやりたいと思うときには、君の身の回りの人々の長所を考えてみるがいい。
たとえば精力的な人、慎み深い人、物惜しみせぬ人、その他の人のその他の長所等々。
なぜならば美徳の姿が我々と共に生きている人々の性質に現れていることほど、しかもそれができるだけ多くの中に現れていることほど喜ばしいことはないからである。
であるからこれらの姿を常に思い受けベる習慣をつけるべきである。」
(「自省録」マルクス・アウレリウス)
周囲の人の長所を探すのは容易い。
が、
なかなかにこれを実践しようという心のゆとりが、
我々には欠けてしまっているのかも知れません。
が、
周囲の人々の長所を見つけ出すのは容易きことゆえ、
あとは我々の心しだい。
美徳の表象を見ることは我々の心を癒してくれます。
ならばこれを習慣づけしてしまうことこそ、
我々の心を穏やかに健やかに育む原動力とすべきで
あるようにも思われます。
何事も習慣にしてしまえば、
いつしかそれが己の知恵となり美徳となる。
反復学習、エクササイズを繰り返す、そのこと自体をも
我々の習慣としてしまいたいような気もするのです。
「自分の体重が〇〇キロで、××キロではないからといって君は嘆くのだろうか?
同様に、君の寿命が〇〇年で、それよりも長い××年ではではないからといって君は嘆くのだろうか?
否!どちらも嘆くべきではないのだ。
君は君に割り当てられた質量の分、それだけで満足するようにせよ。
また、時間についても同じように考えるべきである。」
(「自省録」マルクス・アウレリウス)
「最小のもので、満足できる人は、
最大のものを有している」
(「世界市民の現像」ディオゲネス)
「ダイエッターは哲学者」
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