ダイエッターは哲学者 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

ダイエットなどに取り組んでいると、自分の最も低かった体重を、実際よりも低い体重として記憶してしまっている場合もあるようです。

これは、脳に備わっている自己防衛機能の一つで、自分にとってのダメージを少なくする作用であると云われているそうです。

辛かったことは、少しでも軽減して記憶して、良いことは、より良いこととして記憶する。
脳の、この機能がなければ、人は、もっと人生が辛いものとなってしまうのでしょう。

最良時の自分の体重を、実際よりも軽い数字として記憶していると、現在の体重と比較した時には、「何でだろう?」という疑問が出てくるようです。

自分の記憶が曖昧であることよりも、体重増加の原因を考察しだす。
体重増加の原因と考えらる因子は、加齢、運動不足、代謝、脂肪分、糖分等々さまざまだそうです。

ダイエットに取り組んでいると、記憶と現実、原因と結果等々、じつにあれこれ、考察するという時間が作られます。

「多くの人間は、その記憶があまりにもよいという唯一の理由から思索者になれない。」(ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な ──自由精神の書」)

記録と記憶がしっかりとしていれば、考察しなければならないことは少なくなる。
記録と記憶がしっかりとしてしまっている人は、考察する必要も推論する必要も少なくなるので、思索者、哲学者にはなれない、ということなのでしょう。

ダイエットというプロジェクトは、それほど大きな偉業を達成するというものでもないのかも知れませんが、ダイエットで達成感とか喜びを味わえるのなら、それは人として、最良の幸福を手に入れているという事になるのかも知れません。

「最小のもので、満足できる人は、最大のものを有している」(ディオゲネス)

ダイエットという最小の、富も名誉も求めぬ小さな目標に向かって進まれている人は、この世で最も純真な汚れなき心を手にしているのと同様に、この世の最大のものを有しているということのようです。

ディオゲネスとニーチェ──コラム・インテリジェンス「シノペの釈迦」

ダイエットに取り組まぬ人は哲学者にはなりにくい。
ダイエットに取り組む人こそ哲学的な思考を手に入れる。

ニーチェ風にいうならば、ダイエットに無関係な人は「末人」、ダイエッターは「超人」ということになるのかも知れません。

コラム・インテリジェンス「シルス マリアの超人」
さらにニーチェにいわせれば、普遍のダイエッターなども存在しない。
つまづき、失敗することが、ダイエッターを思索する人、哲学者へと導いていくような気もします。

コラム・インテリジェンス「永遠について」
主治医から5㎏の減量を命じられた。
その言い訳と弁明を考えているうちに、世のダイエッターの深い思索に気付かされました。

その意味では僕も哲学への道に目覚められるのかも知れません。
僕は今、ダイエットする前に、すでに主治医への言い訳と弁明を思索している。