ソクラテス「プロタゴラス、あなたは、人間たちの中には善き生を送る者と、悪しき生を送る者とのあることを認めますか?」
プロタゴラス「肯定」
ソクラテス「では、悩みと苦しみのうちに生を送るとき、人間は善き生を送ると思われますか?」
プロタゴラス「否定する」
ソクラテス「では楽しく一生を送って生涯を終える場合はどうでしょう。
そうして送った生涯は、善き生であったことになるとは思えませんか?」
プロタゴラス「肯定する」
ソクラテス「してみると、楽しく生きることは善いことで善、不快な生を送ることは悪いことで悪とあるということになります」
プロタゴラス「ただし、単に楽しく生きるのではなく、立派な事柄とか知を楽しみながら生きるのならば、という条件を忘れてはならぬ」
ソクラテス「なんですって??プロタゴラス?あなたほどの人物でありながら、他の多くの人々と同じように、ある種の楽しみは悪であり、ある種の楽しみは善であるなどと呼ぶのではないでしょうね?
私の言うのは、楽しいものは、それが楽しいものであるということだけに観点を置く限りは、善であるのではないかという意味であって、そこから何か他のことが結果するかどうかは、問題にしてはいないのですよ?
それでは、苦痛に対してもまた同じように、苦しいということだけに観点を置く限りは、悪であるという意味でお話ししているのですよ?」
プロタゴラス「さあね、ソクラテスよ、はたして君が私に尋ねているような単純な手法で、楽しいものは何もかも善きもの、苦しいものは何もかも悪しきものだと答えてしまってよいものかどうか・・・。
私としては、今、私が君に与える答えのことだけではなく、私の残りの全生涯のことを考慮してみても、こう答えておくほうが無難なように思える。
すなわち、楽しいものの中には善でないものもあり、他方、苦しいものの中にも悪でないものもあれば、悪であるものもあり、そしてそのどちらでもなく、第三番目の在り様として、善悪どちらでもないようなものもある、とね」
ソクラテス「では、楽しいものとあなたが呼ぶのは、快楽を分け持っているものか、もしくは快楽を生み出すもののことではないのでしょうか?」
プロタゴラス「その問いの答えも含めて、第三の在り様もあるということだ」
ソクラテス「ですから、楽しいものは、楽しいということだけに観点を置く限り、善なのではないかと私が言うのは、つまり快楽それ自体は善なのではないか、とお尋ねしたいわけなのです」
プロタゴラス「君がいつも言うように、ソクラテスよ、それを考察してみることにしようではないか。
そして、考察されるそのことが理に適っているように思われ、快楽と善とが同じであると明らかになれば、我々はそれを承認すべきだし、そうでない場合は、そのときにこそ我々は新たなる異論を唱えるべきであると思う」
(「プロタゴラス対話篇」プラトン)
人の幸不幸、苦楽も、善悪関るものもあれば、
それとはまったく別の次元での結果である場合もある
ということのようです。
が、当時、世界最大最強の頭脳と弁論を備えし者として
人々からの賞賛を一身に浴びていたソフィスト
──プロタゴラス──と、
当時はまだ1つの地域──アテネ第1の哲学者であった──
ソクラテスの対話こそが、真実真理を探求する者の至高の姿勢、
結論を出すことだけが完結なのではなく、その考察姿勢、
その考察過程から学ぶべきは、我々人類にとって最良の
知の収穫であったとも思われます。
結論を出すことが収穫なのではなく、あえて、
結論を出さぬことで完結させるという収穫。
楽しいことと快楽。性の営みの善悪は、個人的には、
二人がお互いに快楽を共有してこそ善、
二人の快楽のバランスが崩れてしまえば、
それは悪徳として捉えてもやぶさかではないようにも
思われなくもないのです。