「ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。
これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、
賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、
思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。」
(「箴言/第1章1~4節」ソロモン)
真の王ソロモン、王のなかの王ソロモンが書き記した、
いや、メモった、幸福への源泉。
これをすべて読破すれば、どのようなものよりも、
最も確実に至福へと辿り着くことができるものと確信し、
これからそれを実践していきたいと存じます。
叡智と言霊により、我々は知恵と勇気と正義を解する。
我々は箴言により至福を目指す徒として、
どのような宗教的、政治的、思想的影響をも受けぬ
賢者となることを志望し、それを実践することで、
かならずやそれが実現することを信じ、
確信しているようにも思われなくもないのです。
「賢い者はこれを聞いて学に進み、さとい者は指導を得る。」
(「箴言/第1章5節」ソロモン)
我々は今までモンテーニュからルソー、ニーチェから
キリスト教、仏教、陽明学、心理学、実践哲学に至るまで、
さまざまにココで共に学んできました。
我々はさらに歩みを進めることで、至福至高への第一歩
または最終段階としての真実真理、悟りを見極めることが
できるような気もしないでもないのです。
「人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。
主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。」
(「箴言/第1章6~7節」ソロモン)
ココでの主はゼウスとガイア。
紀元前二千年以上も以前の人類が信仰していた神々、
そのおおもととも思われるゼウスとガイアを主として
扱わせていただきたく存じている次第でございます。
我々はココで箴言として賢者ソロモン王の言葉を授かり、
宇宙、自然、社会の真実真理、道理論理、賢い生き方、
そのアタリマエの在り様を悟ることになるようです。
真実真理、道理論理等々の知恵に畏怖を感じる我々は、
主を恐れる者として、知恵を授かる者の資格を有し、
真実真理、道理論理等々の知恵を軽んじる者は、
愚か者、醜悪なる者としての資質を有している
ということになってしまうのかも知れません。
「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。
それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。」
(「箴言/第1章8~9節」ソロモン)
全知全能の父なる主ゼウスの教訓、
天地大地の存在そのものであられる母なる主ガイアの教え。
ゼウスとガイアから授かる教訓、教えを軽んじてはいけない。
それらが我々の頭脳の明晰なる冠となり、武器となり、
我々の装飾ともなり、我々の輝きともなる、とソロモン王は
陳べてくれているようです。
「わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。
彼らがあなたに向かって、
『一緒に来なさい。われわれは待ち伏せして、人の血を流し、罪のない者を、ゆえなく伏してねらい、 陰府のように彼らを生きたままで、のみ尽し、健やかな者を、墓に下る者のようにしよう。
われわれは、さまざまの尊い貨財を得、奪い取った物で、われわれの家を満たそう。
あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう』
と言っても、
わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。
彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。」
(「箴言/第1章10~16節」ソロモン)
向上心なき者、真心、志なき者、信念のなき者に
誘われても同調し同行し、仲間になってはならない。
正なる心のない者、正なる信念のない者、醜悪なる者たちは、
残虐であり愛もなければ情もない。
彼らの不幸、死へと歩む速度は恐ろしく早く、
それらを自覚せぬ輩に騙されてはならないようです。
「すべて鳥の目の前で網を張るのは、むだである。
彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。」
(「箴言/第1章/17~18節」ソロモン)
すべての悪を消滅させることは不可能で
無駄な索を弄することになる。
醜悪なる者たちは真理も道理もわきまえぬと同様に、
己の人生も命も、人の人生命も軽んじて、
まさに命がけで悪事に臨んでいる者たちであるようです。
「すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。」
(「箴言/第1章19節」ソロモン)
富を求める者はすべてこのような者たちである。
私利私欲を貪る者たちは、自らの命も失い、
他者の人生、命さえも奪う者たちでもあるようです。