「アメリカでは金持ちになることは愛国的義務である。」
(「お金の叡智」パスカル・ブリュックネール)
金持ちになれば、税というかたちで国に貢献できる。
金持ちになれば、教会に献金できる。
だから愛国的義務。
税は国に貢献しているのではなく、政治家官僚公的職員等々の
私腹を増やす根源ともなっている。
献金は、教会に収めるのではなく、神への捧げものとして、
捧げものが多ければ、大きな罪でも許してもらえる
アメリカでは多くの家庭で、そのような教育を、
幼い時期から授かられるようです。
だから献金寄付等々は教会に貢献しているのではなく、
教会関係者の至福を増やすキャピタルゲインとなる。
挙句の果てには、アメリカ人の大好物であるデータ、
データは金持ちほど犯罪率が低いことを示している。
なので、金持ちになれば、カネで国と教会(神)に
貢献出来て、犯罪を犯す確率も低い、まっとうな?
愛国者としての義務を果てせるという三段論法。
が、ベーコンのコラムでも記させていただいたように、
そもそもの仮定過程概念が間違っている場合、
三段論法はただの詐欺師の詭弁と化してしまう。
国と税とは? 教会と信仰心と神とは? それらに
すべてカネが媒介しているという現実については?
このあたりの概念を、乱暴に規定してしまっている
アメリカの真実とは、僕にはどうにも信用しきれない
ところもあるような気もしないでもないのです。
「相続人が体験した苦労といえば生まれることだけだ。
それが彼の悲劇となっている。
彼は幸運な種に属している。
その存在はすでに咀嚼され理解され易くなっている。
どこまでもその階級特有の傲慢さを示す鼻持ちならない「ボンボンども」は、自分たちを平均よりずっと上だと思い、法を無視し、何か問題が起こってもママとパパが助けてくれると思い込んでいる。
だからこそ彼らの多くが人を抽象し、ドラッグや非行に溺れる。
彼らは、ロスチャイルド男爵夫人が20世紀初めに言ったように「富める者は許されるべきだ」と思っているのだ。」
(「お金の叡智」パスカル・ブリュックネール)
オギャーという産声をあげただけの手間暇で、
大金持ちで総理大臣の血縁という地位を保証され、
そのまま総理、副総理になったのが、現在我が国に
重大なる責任を持つと言われている人々。
そのような人々が作る政治社会に美徳と平等、
正義と慈愛を期待できるのでしょうか。
それでも、その御二人を選択したのは、
選挙でお二人に投票した国民。
これではなにが美徳で、なにが正義であるのかなんて、
今の若い人々に語りようもないようにも思われます。
「あらゆる享楽と引き換えにメフィストフェレスに魂を売ったファウストが失ったものは何か?
美しい生き方、努力の高貴さ、結果の奇跡だ。
自分が労働することで得たお金だけが尊ばれる。
もしもすべての望みが聞き入れられ、さらにそれが事前にわかっているなら、生き始める前から死んでいるようなものだ。
闘う必要のない人、飢えや渇きを知らない人は、美徳の歓びを知ることはけっしてない。
世代から別の世代への継承とは、考え方、知識、そして美徳と人類愛の継承であるべきなのである。」
(「お金の叡智」パスカル・ブリュックネール)
「独力で女性を力強く守ることのできる者だけが、
女性の愛願を得るに値する」
(「ファウスト」ゲーテ)
「そのひとつとしての化粧」
https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/28410098.html
人は生まれながらには授かっていないものを求める。
それを知と定めるのか、その他のものに定めるのか、
それによって、人の品性、品格、幸不幸までもが、
変ってきてしまうようにも思われます。
「あこがれを知る人だけが
あたしの悲しみを知ってくれます」
(「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」ゲーテ)
「あこがれを知る人だけが」
https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/34279241.html