「注目されたいのに注目されない理由」
(ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な」)
乱暴な言い方をしてしまえば、「それだけの人間である」からなのだとも思われます。
が、「それだけの人間」であっても、偶然、人前でいきなり転んだり叫んだりすれば、
幸か不幸かは別にして、注目される度合いも大きくなるだけなのかも知れません。
「私たちの一切の快楽は偶然に依存する。」(ファウルズ「アリストス」)
コラム・インテリジェンス「アリストス 4 『ファウルズは語る』」
注目されたいという欲望も、偶然に依存するものだと認知していれば、
その欲望が、どれほど愚かしいものであるのかも納得できる。
「自己顕示欲。要するに、自分だけ目立ちたい、自分だけは特別に注目されたいという欲望。
パーティーに出てみると、これはよく見えてくる。
ある人はお喋りや豊富な話題で、ある人は奇抜な服装で、ある人は顔の広さで、ある人は自分が孤立していることで、それぞれに自分だけ注目されようとしている。
彼らのこういう計算は、しかし間違っている。
自分こそ注目される役者であり、他の者は観客だと思っているからだ。
それぞれがそう思っていて、観客がいないという芝居なのだ。
だから、結局は誰も注目されていないということになる。」
(ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な」)
私事、注目されたいという欲望が理解できません。
注目されればアラも探される。婚外デートもママならない。
もっとも、愚かで還暦なオジさんは、どう転んでもママにはなれません。
人は何らかのものになりたいと思う。何らかの役を演じたいと思っているのかも知れません。
「ヒトはネモを怖れる。何者でもない人、何者でもない状態を怖れるらしい。」
(ファウルズ「アリストス」)コラム・インテリジェンス「アリストス 2 『ネモ』」
「人生においても、しばしば同じことが起きている。
ある人は権力で、ある人は学歴で、ある人は同情を誘う哀れさを見せることで、それぞれに目立とうとしている。
だが、注目されるという目的は永遠に果たされない。
なぜなら、他の人みんなが自分の観客だと、それぞれに思っているからだ。」
(ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な」)
ニーチェは、我々の自己顕示欲を見抜いた上で、その上で、その対処法を示唆してくれているようです。
みんながみんな自分が主役で、みんながみんな他者を自分の観客としてしか見ていないのなら、
誰が貴女に注目するのでしょう。
観客席に居ながら、役者の芝居に注目せずに、その辺りの観客一人一人に注目しているような人は少ないとも思われます。
舞台の上で演じている役者の中に、自分たちの芝居以上に、観客の一人一人の様子に注目してしまって、自分の役を疎かにしてしまうような役者も少ないかとも思われます。
目立ちたいというような自己顕示欲は不要であるのかも知れません。
真の自己顕示欲は仕事で、スキルで、美しさで表現すれば良い。
現代女性はまさにこの理に叶った生き方を心得ているようです。
が、現代男性の自己顕示欲のありかたには、愚かで還暦なオジさんとしては、いささか戸惑う時も少なくないようにも思われなくもないようです。
目立ちたい願望、自己顕示欲という化け物と、どう対処すればよいのか。
ファウルズは、その回答も用意してくれていました。
「この謎めいた化け物から逃れようと、悲鳴をあげて私たちは走り回る。
何者でもない人にはなりたくない。何者でもない状態が怖いのだ。
本当の恐怖はネモ自体にあるのではなく、
ネモを恐れる私たちの恐怖の中にあるというのに。」(ファウルズ「アリストス」)
コラム・インテリジェンス「アリストス 2 『ネモ』」