「楽しくもあり、せつなくもあり、悲しくもあり、苦しくもあり、叫び出したいほど辛く、世界中に触れ回りたいくらい幸せなのが恋というものなのだ。」(森瑤子「恋愛関係」)
楽しい時もある、が、せつない時もある、悲しい時もあり、苦しい時もある。
何が楽しくて、何がせつないのか、この悲しみはどこから来ているのだろう、・・・苦しい・・・けど、それらを一つ一つ考え分析し、自分で納得して、世界中に触れ回りたいくらいに幸せなのが恋であるようです。
恋するだけで人は成長できるのではなく、恋してせつなくて悲しくて苦しんで、その過程で人は成長していくのかも知れません。
人は愛することで人生のすべてを学び取ることができるのかも知れません。
愛するということには、人生のすべてが凝縮されているようにも思われるのです。
恋は人生とは何かを学ばせてくれます。愛は知の必要性を教えてくれます。
「愛せよ。人生においてよいものはそれのみである。」
(ジョルジュ・サンド「薔薇色の雲」)
コラム・インテリジェンス「リュクサンブールの幻想 」
よけいなことですが、「薔薇色の雲」は僕の数少ないカラオケレパートリーのなかの一曲です。
閑話休題。
愛することで人生を学べて、喜びも知ることができる。
学べて喜びも知ることができるよいものは、愛する以外にはないのかも知れません。
人は恋して成長して、愛して成熟できるようです。
「二十代の恋は幻想である。
三十代の恋は浮気である。
人は四十代を過ぎて、初めて真のプラトニックな恋愛を知る。」(ゲーテ)
(エッカーマン「ゲーテとの対話」より)
コラム・インテリジェンス「あこがれを知る人だけが」
「楽しくもあり、せつなくもあり、悲しくもあり、苦しくもあり、叫び出したいほど辛く、世界中に触れ回りたいくらい幸せなのが恋というものなのだ。」(森瑤子「恋愛関係」)
インプットされたものはアウトプットしなければ均衡が保てません。
恋の喜びを体現した人が、それを触れ回りたいという衝動に駆られるのは、自然なことなのかも知れません。
そしてそれは愛と知の証明となるようにも思われるのです。