神の欲望3 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

ミネルヴァ(アテネー)の戦略通り、
メドゥーサの首を切り落としてしまった青年はペルセウス。
 
ペルセウスはミネルヴァにメドゥーサの首を捧げる。
 
ミネルヴァ(アテネー)は戦闘用の自分の盾に
メドゥーサの首を飾ったという。
 
「ゴルゴー(メドゥーサ)の顔の ぎょろりと睨みつける鉛の目、
 恐ろしげな蛇がのたくる盾」(「魅せられたる者たち」オスカー・ワイルド)
 
とんでもなく異様な光景であったのでしょう。
 
この時ミネルヴァは、どのような気持ちだったのか。
神話は物語の性質上、登場人物の心理描写はひかえられている。
 
ミネルヴァの戦略上の駒に過ぎなかったペルセウス。
 
幸か不幸か、ミネルヴァ本人も予測し得なかったその後も
ミネルヴァの別の戦略プロジェクトとジョイント、
 
青年ペルセウスの運命は翻弄されていく。
 
メドゥーサと同様、「私は美しい」発言でミネルヴァの怒りを買ったカシオペア。
 
カシオペアの娘アンドロメダはミネルヴァによって幽閉されてしまう。
 
女性の世界では「私は美しい」という言葉は禁句扱いとなるのかも知れませんね。
 
ミネルヴァによる他のプロジェクトなど知る由もないペルセウスは、
なにげにアンドロメダを救出してしまう。
 
メドゥーサの首を手に入れたミネルヴァは、この事実を黙認するという形で許す。
 
ペルセウスとアンドロメダは、その後結婚、
末永く幸せに暮らしましたとさで良いようなものなのだろうけど、
 
僕が気になるのは戦闘の女神、絶対神ゼウスの娘、
最強の処女神としてのミネルヴァ(アテネー)の心理状態。
 
彼女の報復、権謀術策、怒り等は、彼女の立場としての行動。
戦闘の女神、絶対神ゼウスの娘、最強の処女神としてのミネルヴァには、
守れねばならぬ立場があった。
 
彼女が、その立場を守らねば、世界の秩序が
乱れ果てる恐れさえあった状況だったのかも知れません。
 
秩序の維持も立場の保持も人間の煩悩だとするならば、
「煩悩を克服した人間こそ幸せになれる」という釈尊の教えに逆行する。
 
ミネルヴァは不幸な女神であるとも考えられるのかも知れません。
 
そこで、アンナ・フロイト。
 
ミネルヴァが秩序の維持こそ大切な使命であると考えたのはミネルヴァの超自我。
彼女が他の美女を憎むのはミネルヴァのエス(イド)という煩悩。
 
自我は、秩序維持のための残虐ともとれる行為と
憎しみという煩悩を調節しなければならない。
 
私情を抑えて平和的解決こそ望むという超自我は
怒りと憎しみを抑えてバランスをとるものだとする自我よりも、
更なる高みを要求しているのかも知れない。
 
「超自我は、自我と敵対するときにのみ、明確な姿をとる」
というアンナ・フロイトの理論にマッチしているとも思われない。
 
だとしたら、やっぱりミネルヴァは女神。
アンナ・フロイトの人間心理学には当てはまらない。
 
神話のなかの神々の欲望と、その対峙の仕方から何かを学びたいと思った。
そこに哲学と心理学を持ち込むことで何かが見えてくるのかも知れないと思った。
 
が、気が付けば、己の知識不足、勉強不足を痛感するだけに終わってしまった。
欲望と理性の問題は難しい。
 
それでもどうしてもそこにこだわるのは、
僕自身がどこまでいっても欲望の対処法を模索し続けているからなのかも知れない。
 
欲望の対処法を模索し続けるということは、
取りも直さず僕がいつまでも欲望に悩まされ続けているということに他ならない。
 
そんなことならあれこれ考えずともわかっていた。
 
神の欲望よりも、自分の欲望のほうが、はるかにわかりやすいのでした。