孤独な変身 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

ヒトが誰でも体験する喜怒哀楽、病老死。
これらに対しては、主に宗教とか医師、カウンセラー等が
程よい助言を与えてくれたりもする。
 
が、多くの人が体現する孤独という名のやっかいな命題に対しては、
宗教、哲学、心理学等々をもってしても、
なかなかにコレといった解が見つかりにくいのかもしれない。
 
現在よりも100年ほど以前に、その孤独に取りつかれ、挙句の果てには、
その思いを作品にまで託してしまった男がいる。
 
フランツ・カフカ。
・・・「ある朝 目が覚めたら虫になっていた」・・・。
20世紀不条理小説の原典といわれるカフカの代表作「変身」。
 
「変身」の主人公グレーゴル・ザムザは、ごくアタリマエのセールスマン。
彼が、ある朝目覚めると、虫になってしまっていたところから
物語は進行していく。
 
「虫」。
日本語訳では「虫」と訳されている言葉の、ドイツ語での語源は、「役に立たぬ者」。
それだと少しはわかりやすくなるような気もしないでもない。
 
多くのヒトは、自分が社会から、または周囲の人々から、
「何者でもない人間」として扱われることに嫌悪感を抱くらしい。
《参考 : アリストス 2 『ネモ』 /当ブログ「コラム・インテリジェンス」》
 
が、カフカは、その「ネモ」の嫌悪を突き抜けたところに
真の恐怖があると、認識していたようにも思われる。
 
ヒトは、「自分は女性である」とか「自分はオトナである」だとか、
挙句の果てには「自立した人間にならなくてはいけない」等々、
なんらかのシバリに囚われている生き物なのかもしれない。
 
が、このシバリを一生懸命突き抜けて、
自己達成、あるいは自己完結した暁にも、
「ネモ」以上の嫌悪、あるいは恐怖、つまりは孤独が
待ち受けている可能性も、けっして否定はできぬらしい。
 
だったら、どうせなら、初めから、
「何者でもない者」と思われたほうが楽ちんなのかもしれない。
 
というのが、カフカの主題のひとつ、
または願いでもあったように思えてならない。
 
多くのヒトが感じるはずの孤独。
にもかかわらず、それを真っ向から扱う宗教、哲学等々の知識の少なさ、
さらには、孤独を論じることとか、語り合うことすら
現代社会においては、避けられているような気配すら感じる。
 
が、現実には
「友達のつくりかた」「友達を大切に」「友達の輪」などという言葉が
はびこる裏側にこそ、現代人が必要以上に孤独を恐れている事実が見え隠れする。
 
孤独を恐れぬ人々ならば、
「友達の携帯番号登録数」「バースデー・カードを受け取る数」
「親友と呼べる人何人?」などという言葉さえ出てくるわけもない。
 
挙句の果てには、最近では、
社会人であるべき人間、しかも男で、社会人のはずなのに、
その男たちから「ランチを共にできる友人」などという言葉さえ見聞きするらしい。
一人ではランチにも行けぬ男たち・・・。
 
孤独と向き合った男カフカ。
一見華奢に見えるが、実は正々堂々と、孤独に挑んだ男。
文学青年の典型のような雰囲気なのに、
自分をさらけ出す勇気と確信を持った男カフカ。
 
「ヘヘッ、文学なんて・・・」などと、男らしさを売り物にしているくせに、
「ともだち」「なかま」に拘り、ピンピンヘアを気にする現代男性に比べれば、
カフカがどんどん美しく見えてくる。
 
で、オジさんは、年寄りを売り物にして、
「遊び」に拘り、酒が飲めなくなる病を気にして生きている。
 
と、考えると、オジさんも、オジさんのくせに、
カフカよりは現代青年に近いのかもしれないなどと、
若返った気分になってしまう勘違いと曲解を楽しむこともできるような気になってきた。