志士の愛人 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

松蔭とも親交の深かった巨人梁川星巌(やながわせいがん)。
老儒者であり熱血詩人でもある星巌は、14歳年下の愛人紅蘭を劇愛していた。

星巌を拘束するために役人が押しかけたとき、紅蘭は、「無礼者!」と怒鳴りつけている。
「無礼者」と言われても、愚役人にしてみれば、
それほどの公的地位のある星巌でもないのに、
「何様?」ってなもんであったであろう。けど、紅蘭はとりあえず怒鳴りつけたらしい。

紅蘭は当時としては超珍しく、紅蘭女史と呼ばれるようになっていた。
多感な17歳のころから星巌にマンツーマンで教えを受けた紅蘭は、
並みの学者では太刀打ちできぬ実力を身に付けていたという。

私事、女性に生まれていたら、「こんな女性になりたいかもしれない」女性の中の一人である。


芸者のお嘉久は高杉晋作の愛人である。
高杉が松蔭の愛弟子であったことはいうまでもない。

三千世界の鴉(からす)をころし 主(ぬし)と朝寝がしてみたい

酔い覚めの向かい酒を呷りながら、高杉が即興で作ったこの唄はあまりにも有名。
この唄の「主(ぬし)」を、お嘉久は、自分ではなく天下国家であると解釈している。
女性への思いと、天下国家を並べて見せる高杉に、お嘉久は惚れたのだという。

どうにもならない天下国家を論じ、幼児のように駄々をこねている高杉を、
お嘉久は、並みの男ではないと見抜いていたと解釈されてもいる。

志士たちにも見事な男は多いようではあるけれど、
歴史に顔を出すことの少ない、志士の恋人にこそ逸材が光っていたような気がする。

紅蘭女史と芸者お嘉久、どちらも絶世の美女であったと記されてはいるけれど、
こちらのほうの信憑性は定かではない。てゆーか容姿は好き好きである。

容姿はともかく、その才に関しては、紅蘭女史もお嘉久も疑うべくもなさそうではある。
儒者の恋人は、その儒者の、志士の器を計る目安にもなるような気もしているのだ。

で、自分はどうなのかと自問自答したときには、
どうにもこうにもなんともはや、ああでもないこうでもない、愛が滑った転んだ、
挙句の果てに愛だ提灯だと、わけもわからぬ御託を繰り返すだけなのでした。