「運がなくても、世間の人々と絶交しても、精神的な拠り所さえあれば幸せになれる。
それなら、そっちを選ぼうではないか。」
(「孤独な散歩者の夢想」ジャン=ジャック・ルソー)
今の僕の、精神的な拠り所は、
読書と、このブログです。
いつか、どこかで、だれかが、このブログを見つけて、
このブログによって、読書の喜びと精神的な拠り所を
見出していただけたなら、
これにまさる幸せはないとも思っています。
「数年にわたりもがき苦しみ、ようやく正気を取り戻し、我に返りだしたところで、私はあらためて、精神的支えという、不運に対する「備え」がどれほど重要なものだったか、その価値をしることとなる。
きちんと考えておかなければならないことについては、何にしてもすでに判断の基準となる原則を定めてあった。
そこで、自分のおかれた状況をその原則と照らし合わせてみると、これまで自分が、他人の不条理な評価や、みじかい人生で起こる些細な出来事を必要以上に重要視してきたことに気づかされた。」
(「孤独な散歩者の夢想」ジャン=ジャック・ルソー)
きちんと考えておかなければならないことについては、
きちんと考えておかないと、後から必ず取り返しのつかぬ
こととなってしまうようです。
楽すれば苦がある。手を抜けばいつか結果として現れる。
エネルギー不滅の法則。
きちんと考えたというエネルギーは、必ず、それ相応の
結果に結びついてくる。
きちんと考えなかったというエネルギーもまた、必ず、
それ相応の仕打となって返ってくるのかも知れません。
エネルギー不滅の法則という物理学と、
人生論、哲学の素晴らしき融合。
ルソーのいう判断の規準というのは、
行動指針、情動哲学のようなもので、
判断の規準を、
お金とか経済的なものに定めていたのでは、
けっして人生に安寧は訪れない。
そもそもに、お金とか経済自体が流動的であり、
その流動的なものに、流動的な我々の人生を
委ねてしまうこと自体に、さらなる問題が生じる
可能性が大きいとも思われるからなのです。
「永遠の真理とは、すべての時代、すべての賢人に受け入れられ、あらゆる国民に認められ、不滅の文字によって人々の心に刻まれ、永遠に残るものなのである。
真理について思考を重ねるうちに、人間の理性は感覚によって左右されるため、永遠の真理を知り尽くすことはできないとわかってきた。」
(「孤独な散歩者の夢想」ジャン=ジャック・ルソー)
一番の問題は、「すべての時代において、
あらゆる国民に認められ」というところにあると思われます。
そもそもに国民もそれぞれ。人それぞれなのであります。
ある人間からみれば、
何も考えていないという国民さえ存在しうる。
現に、そのような国民が選挙で悪人に投票してしまい、
醜悪なる政治家を生み出してしまっているかのようにも
思われなくもないような気もしないでもないのです。
「そこで私は分相応の範囲にとどまり、自分の手に負えない部分については首を突っ込まないことにした。
つまり合理的な範囲に限るということだ。
この範囲に限るなら、私はすでに把握している。
理性的にも心情的にも納得している。」
(「孤独な散歩者の夢想」ジャン=ジャック・ルソー)
論理も合理性も理解できる。
が、理性的と心情的というのが
難しいようにも思われなくもないのです。
論理的にも合理的でもあるものが、
理性と心情では受け入れにくいという場合も、
あるようにな気もしないでもないのです。
たとえば、性欲を否定するものではないけれど、
その衝動のタイミングが論理的合理的であったとしても、
理性と心情がそれを受け入れ難いという場合も
あるのかも知れないようにな気もしないでもないようにも
思われなくもないのです。