いっとき、「成田離婚」なる言葉が流行った。
新婚旅行先から成田に帰国した途端に離婚を申請するカップルが急増した現象をとらえた表現であるらしい。
国内でデートを重ねているときには頼りがいもあったであろう男性が、言葉も通じず、土地勘もない場所では実に頼りなく、不甲斐なさが露呈してしまった結果であるようです。
当時は、「マザコン」などという言葉も流行っていて、この二つの言葉がうまくつながり日本男児の実情をズバリと指摘しまったようにも思われなくもないのです。
「ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額な預金残高、華麗な肩書などから生まれるものではない。それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。」
(「ライフ・レッスン」エリザベス・キューブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー)
バブル景気の煽りで、相手の表面的な部分だけで結婚してしまったカップルの末路であるのかも知れません。
男子たるもの、親に頼らぬのはアタリマエとして、そもそもにそこから出発して派生するであろう社会的地位などに目もくれず、男一匹、独力で行き抜く力を身につけるべきであろうとも思われなくもありません。
ましてや預金残高だとか肩書を売りにするような男では、旅先でも、長い人生の旅においても、家族を守るなどという情動は不可能であるのかも知れません。
「人間の力は、自分が唯一無二の存在であるという自覚から、他のすべての被造物とおなじく、自分にも生命の力があるという自覚から生まれる。力はわたしたちの内奥に眠っているのだ。」
(「ライフ・レッスン」エリザベス・キューブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー)
個性重視といわれながらも多くの人がIT業界へ流れ込んでいる。
これはもう個性どころか流行の波に乗せられてしまった哀れな被造物の状態であるとしか思われなくもないような気もしないでもないのです。
真の個性とは、己の意思で生き抜いてやるという強い信念と、そのためには自ら切磋琢磨して努力を惜しまぬ姿勢から生まれる。
が、切磋琢磨、努力の対象が、自らのチョイスではなく、時の流れに沿ったITであったりゲームであったりサッカーである場合には、その才と努力の結果が、真の力、唯一無二の力となる可能性は低くなるようにも思われなくもないのです。
そのような人々が金も地位も自分も家族をも幸せにすることはできぬと気づいて初めて、そのような人々にも真の力の必要性を自覚することが可能となってくるのかも知れません。
「フロイトはかつて、貧乏な患者と金持ちの患者を選べるとすれば、わたしは金持ちの患者を選ぶといったことがある。なぜなら、かれらはお金さえあれば問題が解決するとかんがえる段階を卒業しているからだ。」
(「ライフ・レッスン」エリザベス・キューブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー)
金と地位と名誉だけでは幸せをつかみ取ることができぬと自覚するには、とりあえず金と地位をつかんでみるのもひとつの手段となってくるのかもしれません。
が、いにしえの賢者は、そのような無益な時間を過ごすことは避け、初めから金と地位では得ることのできぬ幸せ獲得の手段として、知と武、文武両道を目指していたようにも思われます。
友人と過ごす時間も大切であるのかも知れません
が、そのまえに自分磨き、自己研鑽の時間を大切にして、流れに流されず、自分が本来興味のあるものを追究し、その知識を深め、そこから派生する知の世界へと、どんどん自分の守備範囲を広げていくことが肝要であるような気もしないでもないのです。
「集団化、あるいは仲間との時間を拒否できる人間は、自分の人間的独自性を受け入れ、一人の人を愛するという能力に磨きをかける」
(エーリヒ・フロム「フロイトを超えて」
「ザ・シークレット・オブ・オクラホマ」
https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/41990296.html
ルール4
誠実であること。潔いこと。この二つを忘れないこと。