賢人会 6 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

満足を覚えれば幸せになれるのかといえば、それは、かりそめで終わってしまう場合も多いように思われます。

人間は、満足を覚えるためにまた次の満足を求めてしまう。

満足を覚えた途端に、その幸せは終了してしまう。

 

心も体も穏やかにというのが、真の幸福へのスタンスであるかのような気もしないでもないのです。

 

「怒りを抑える。

 快楽の誘惑に負けない。

 苦痛に耐える。

 名声を求めない。

 そして、非人情で感謝しない者たちを怒らず、穏やかに彼らを受け入れる。

 それらができれば、人は理想的である。

 おまえにもできるはずだ。」

(アウレリウス「自省録」)

 

が、なかなかに怒りを抑えることも出来ぬ場合もあるのが人間。

快楽の誘惑とは必死に戦わねば負けてしまいそうになるのも人間。

 

苦痛には耐えがたく、苦痛を喜ばないのも人間(なかには苦痛を喜ぶ性癖の人もいるらしいけど)。

名声は、個人的には求めない。これは先天的なものなのか経験率から感じたことなのか、どちらにしても名声を求めぬ自分は有難いと心底感じています。

 

いっぽうで非人情で感謝しない者たちを怒らず、穏やかに彼らを受け入れるのも難しそうだけど、これも彼らの存在は打ち消してしまうというか、自分の中から消去してしまうという技によって何とか災いからの回避も可能であるのかも知れません。

 

「それができれば、人は理想的である」ということは、それが出来ぬから人は悩み苦しむという現実の存在を、アウレリウスも認めてしまっているようにも思われなくもないのです。

 

「おまえにもできるはずだ」という文言も、「私にもできているのだから、今できていないおまえにもできるはず」という現実を、アウレリウスは熟知していたのかも知れません。

 

そしてよく聞く話としては、死を見つめることで生を見つめなおすことができる、などという文言を見聞きすることも多いかと思われます。

これは真実、事実であるような気もしないでもないのです。

 

「賢い人とは、死が穏やかな世界への旅立ちだと信じられる人である。

 だから、彼は、死が近づいてもあわてふためくことがない。」

(キケロ「老年について」)

 

生きて行くということは、

怒りを抑え、快楽と闘い、苦痛に耐え、見返りとか名声をも求めぬこと。

 

これらを苦悩と感じるから人間は

「生きて行くのが辛い」だとか「人生とは」などと御託を並べ始める。

が、それも真実であるような気もしないでもないのです。

 

素敵で素晴らしいことも多い人生を、自ら投げ出す必要もないけれど、死が近づいたということはもう頑張らなくてもよいと受け止め、その先には、苦悩からも苦痛からも解放された穏やかな世界が待っていると信じられるかどうかが賢愚の境目となるのかも知れません。

 

だって、それはなにも努力もしないでも、意識そのものがなくなってしまうのだろうから、概念も苦悩も、苦痛も迷いも消滅して穏やかな世界だけが残るのはアタリマエといえばアタリマエそのものの論理であるようにも思われます。

 

だからといって、ココで申し上げてもよいものなのかどうかはわからないのですが、

モンテーニュはある意味、利己主義。僕も誰もがある意味、利己主義。

それを承知で申し上げることは、世の男性には受け入れられるかもしれないけど、世の女性にとっては迷惑以外のなにものでもないというような、死についての名言。

 

「ひたすらキャベツを植えているところに、死が訪れればいいと思う」

(モンテーニュ「エセー(随想録)」第1巻20章『哲学するとは、死に方を学ぶこと』)

 

「死ぬまで一緒」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40251280.html

 

「キャベツを植える」というのは、

モンテーニュの時代のフランス人にとっては、ありきたりな暗喩(メタファー)で、性行為を揶揄しているようです。

 

なのでこれは男性にとっては最高の死に様ではなくても最高の死に方であるようにも思われなくもないのです。

が、女性にとっては、最悪、絶対に経験したくない、いや、絶対に経験すべきでもない状況であるとも思われます。

 

それでも絶対に経験したくない、あるいは絶対に経験すべきでもない状況というのは、俯瞰してみれば唯一無二、じつに希少で貴重な、ダイヤモンドのような経験であるともいえるような気もしないでもないようにも思われなくもないようにも思われるのかも知れないようです。

 

自分でも、これほどいい加減で無責任なことを平気で書いている自分が情けなくもなるのですが、なにしろ僕は陽明学の徒であり、モンテーニュの信奉者であるということでお許しいただければ、僕も晴れて穏やかな世界へと旅立って行けるのかも知れません。

 

「美知的武習録27(花燃ゆ)」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40713153.html