「少し前にある保養地で若い人が店の人と話しているのが聞こえてきました。その若い人は早くから大もうけをして今はもう悠々自適の暮らしのようでした。店の人への態度を見ていたら、何となく嫌な感じがしました。」
(養老孟子「養老訓」)
まともに働いていたのなら若い人が若くして大金持ちになる確率はゼロに近いかとも思われます。
が、現代ではゲーム等のプログラミングですとかIT関連、株ですとか投資ですとか、一般労働以外でも金を儲ける方法が溢れているようです。
が、それをしたらおしまい、それをしたらお金は儲かるかも知れないけど大切な何かを失う取返しのつかぬ事態に陥ってしまうという理性が、人々の行動に歯止めをかけているようにも思われなくもないようにも思われます。
「個人が『こうしたら効率よく儲かる』とういことを第一にして動くと、社会システム全体の効率は非常に悪くなるのです。」
(養老孟子「養老訓」)
個人が「こうしたら効率よく儲かる」ということを第一にして考えるようになれば、社会システム全体の効率どころか社会システム自体あるいは人間としての本質自体が失われてしまうようにも思われます。
女性の対する暴力が増えている。女性に対するパワハラ・セクハラは日常化している。ようにも思われます。
つい最近までは、どんなに悪い不良少年でも、女子供、社会的弱者に対する暴力は下劣であるという認識がしっかりと植え付けられていたような気もしないでもないのです。
金儲けに拘る男性が増えれば、女性に対する暴力、パワハラ、セクハラ、エチケット無視、マナー違反、モラルの低下等々の悪行も増え続ける。
カネが好きな男の人数は、下劣な男の人数に比例する。
生きていく上での享楽とか快楽は本来カネにはない。生きていく上での至福とは本来はイデアと安寧によってもたらされていくものであるようにも思われます。
「今では享楽者とか快楽者という誤解された意味でのみ使われている “ エピキュリアン ” という言葉だが、その語源となった古代ギリシャの哲学者エピキュロスは、生きて行く上での快楽を追求した。」
(ニーチェ「漂泊者とその影」)
「美知武習録181(ニーチェ)」
https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40980561.html
ニーチェもエピキュロスもマキャベリも、現代ではゲーテさえもが誤解曲解されている。
それは原典を読まずにある言葉だけを引用して利用しようという浅はかで軽薄な知の追求方法に問題があるようにも思われます。
ベンサムとかフーコーにも、その影響を与えているとされるエピュキュリアン。
その元祖とされるエピクロスも原典においては極めてまともで素敵な言葉を使っています。
「精神の平和ないし平安こそ人生のゴールである」
(エピクロス「主要教説」)
「最大幸福」
https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/41666407.html
ITだとか投資だとかで儲けた金などもあぶく銭。
あぶく銭を稼いだからと言って、その人に人並みの人格までをも備わっているのかと問えば、答えはまったくに否であるのかも知れません。
人格に悖るような人間になるよりは、イデアと安寧で知的幸福を追求していきたい。
人は人それぞれ。人格、品位を求めぬ人はカネを求めれば宜しい。
カネに魅力を感じぬ人間は人格、品位を求めても、けっして誰にも文句は言われる筋合いもへったくれもないはずであるような気もしないでもないのです。
「ここでも肝要なのは『分相応』です。自分の出来ること、身の回りのことをきちんとする、でいいのではないでしょうか。」
(養老孟子「養老訓」)
個々の個人が、それぞれ違った情動で生活していても、個々の個人が、それぞれに分相応をわきまえていれば、全体としての平安は保たれるのかも知れません。
ここにも動的平衡の法則が見え隠れしているようです。