セレネはギリシャ神話の女神なのに、
同じギリシャ神話のなかでも、後にアルテミスとして描かれることもあるようです。
セレネ(アルテミス)は月の女神なので、
月の満ち欠けのようにその姿かたちも七変化。
その性格さえも多重人格のように、まったく違ったエピソードを残しています。
これは、古代においても女性は神聖であり、なんでもありの魅力と、それをまた崇め奉ることで、人間としての女性を神格化していったからであるようにも思われます。
そしてそれはそのまま、古代より伝わる女性一般のイメージでもあったのかも知れません。
女性は変わるもの。変化するのが女性。
女性の変化は必要悪であり魅力となり神格化されていくべき点もあって良いような気もしないでもないのです。
というのも神話・伝説とされていた女神エピソードが、近年では続々と科学的に証明されてきているからであるとも思われます。
神話ではセレネに捧げられたとされていた金の首飾りも現実に発掘されてしまいました。
「古代ギリシャの耳飾り」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/39715458.html
女性と低血圧、低血圧と寝起きの良否なども、現代科学は解き明かそうとしているようです。
「男と女の寝起き学」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/39894140.html
女神の存在が証明されつつある今、女性たちの七変化も崇拝尊重されるべきであるようにも思われます。
「男と女の兵法」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40233242.html
月の女神セレネも時にはセクシーなエピソードも残しています。
「セレネ」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/27171381.html
エドワード・ポインターの描く「夢の中のエンデュミオーン」は、まさに肉食系セレネの性獣ぶりが美しくもはかなく、華麗にしてピュアに映し出しているように思われます。
「セレネ あるいは ルーナ/とっても女な物語」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/39834077.html
が、アルテミスとなってからは一変。
銀の馬車に操り、月光の矢を放ち、狩猟の女神であると同時に純潔の女神として、男たちからの畏怖を勝ち取っていったようです。
「いつでもシリウスが見ている」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/39882293.html
女神は、いや、女性は変化してこその女神。
うつろいやすく冷めやすく、熱しやすく鮮やかに、苦悶の日々を送っていても良い。
そこからの変化はいつでも可能であるようにも思われるのです。
「どんな時でも、どんな状況でも通用するものが悟りではない。
ヒトはその都度、
思考を柔軟に変化させ適応させていくことが大切」
(玄侑宗久「無常という力」
「法華経と方丈記」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/38928717.html
「世界には、
きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、
と問うてはならない。ひたすら進め」
(ニーチェ「曙光」)
「美知武習録164(ニーチェ)」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40882893.html
若き麗しき人へ。
大罪(犯罪ではない)を犯しまくり悩みまくり
苦しみまくり、反省しまくり後悔しまくり、
精一杯生きて、疲れ果て、
昇天あるいは天に召される時を
納得づくで受け入れてほしいのです。
「昇天あるいは召天」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/41662240.html
「たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、
死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。
逃げていたんじゃあ、
貧相な人生しか送れませんよ。」
(瀬戸内寂聴「女優」)
「その不思議ケゴンにあり」