62年生きてきて、その3分の1以上を
女性ばかりの部署の長として費やしてしまいました。
「嫌なら恋をしろ」
乱暴な言い方かもしれません。
が、彼女たちの才を伸ばすためには、
この方法が最良であると信じていました。
そしてその結果は世間の周知となり、
彼女たちの才は見事に開花したといえるらしいのです。
女性が恋をすると、子細なことは気にならなくなり、
その恋にとって重要必要と認識された事柄だけに集中するようになるようです。
恋をすれば、オシャレになり、よりいっそう美しくなる。
恋をすれば、二人にとっての必要が重要となり、その他の子細なことは気にならなくなるぶんだけ、余計なストレスからも解放されるようになるのかも知れません。
「意志の自由は、性格全体の改善を可能にする」
(ショーペンハウアー「意志と表象」)
ニーチェも、ショーペンハウアーの自己改革論には、
一目も二目も置いていたようです。
「美知武習録170(ニーチェ)」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40909934.html
女性に限らず、
人はあらゆる状況で不快と不遇を体験するようです。
そして人はときに、その不快と不遇に惑わされ、
己本来の目的と己自身の素敵さえも、
見失ってしまう場合もあるのかも知れません。
「嫌なら恋をしろ」は、乱暴な言い方かも知らませんが、彼女たちの心の安定と集中力を狙った僕なりの戦略でもあったのです。
彼女たちの才を開花させたい。
その一心が、その戦略を可能とさせたようにも思われなくもないのです。
彼女たちの不安・不平・不満を僕への恋心に向けさせることにより、彼女たちのキレイへの集中力、僕との仕事、彼女たちの向上、彼女たちの子細なことへの執着・拘りを捨てさせ、ストレスから解放することで、彼女たち本来の実力を開花させることが実現できたような気もしないでもないのです。
「相手に愛や慈(いつく)しみを贈るのも、
自分の力の表現だ。」(ニーチェ「曙光」)
「美知武習録154(ニーチェ)」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40857963.html
彼女たちが僕への愛や慈しみに力を注ぐとき、それ以外のことへの執着・怒り・悲しみ・不安・不満・拘りは減少していく。
彼女たちが僕へのボランティア的な、あるいは偽りの愛や慈しみに力を注ぐとき、彼女たちの迷いは消え失せ、二人にとっての重要と思われる仕事・日常に集中し、創造が生まれ、向上を手にすることができたようにも思われなくもないのです。
なのでその結果は良となり、その良なる結果が周囲に良なる影響を及ぼし、個と個の結束が、個と集合の良を生み出す状況を創り出せたのかも知れません。
「自分の行為は世界に響いている」
(ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な」)
「美知武習録162 (ニーチェ))
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40873941.html
が、そもそも、
「嫌なら恋をしろ」の対象を、僕に求めること自体が理不尽&不合理で、すべてはスケベおやじの個人的快楽の追求であったようにも思われなくもないような気もしないでもないのです。
それでも結果オーライ。
それでもショーペンハウアーは、そのような御批判に対する弁明までをも、用意してくれているようです。
「人間は嘘をつく怪物である」
(ショーペンハウアー「意志と表象」)
「社会的地位や富に差があっても、
誰もが同じ愚か者である」
(ショーペンハウアー「読書について」)
「どんなに優秀な人間でも、
くだらない一面を兼ね備えている」
(ショーペンハウアー「知性について」)
極めつけは、
「他人の評価などには
無関心であるべきである」
(ショーペンハウアー「幸福について」)
で、62歳のジィさんとしては、
「他人のために暮らすのはもうたくさんだ。
せめてこのわずかな余生を
みずからのために生きようではないか。」
(モンテーニュ「エセー」)
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40125498.html
そして更なるそれの言い訳としては、
所詮人の何かの情動は誰かの情動の妨げとなる場合もあるということなのかも知れません。
僕と部下たちの桃源郷は、周囲のかたたちに何らかのご迷惑をおかけしていたような気もしないでもないようなのです。
「一方の徳が、他方の損になる」
(モンテーニュ「エセー」)
「モンテーニュ4」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40135768.html