貴女へ 5 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。


「照れ屋だから」

「恥ずかしがり屋だから」

という言い訳または自己主張が解りません。



貴女も僕も本来は
「照れ屋」で「恥ずかしがり屋」なのかも知れません。


が、それでも僕たちはお互いに、

それを我慢したほうが相手が喜ぶと思われるときには、



自分の中でそれを押さえつけてしまっているような
気もしないでもないのです。


照れくさいけど「愛している」という言葉はくちに出す。


恥ずかしいけど「好きだ」と感じた時には素直に
その都度、言葉に出して表明する。


言霊の力とは、

そういう単純なことも含まれているのかも知れません。



が、一方で

「照れ屋だから」

「恥ずかしがり屋だから」という情動を

「可愛い」と感じる人も時もあるようです。



また、

「照れ屋だから」

「恥ずかしがり屋だから」という自分の情動を

押し殺してまでの交際には否定的な人も時もあるようです。



どちらがどちらという問題でもなく、
どちらがどちらと捉えてしまうのも愚かなことかとも思われます。


が、僕は自分が恥ずかしくても、

貴女を再三再四改めて愛しく感じた時には

素直に「愛してる」の言葉を捧げたい。



そして貴女を好きだと再認識してしまった瞬間にも
こまめにその気持ちを表明していたい。


「愛している」「好きだ」という言葉を発することで

僕は僕の情動を再認識・再確認できるし、



貴女も僕の情動を再認識・再確認し易いようにも
思われるのです。


それも含めた言霊の力を僕は意識します。



貴女はときに「鬱陶しい」と感じるかもしれないけど、
僕は懲りずにしつこく「愛」と「好き」は表明していたい。


恥ずかしさとか照れくささとか、あるいは恐怖とか不安という

自分の感情を押さえつけてまで相手を思いやる情動こそが


オトナの情動であるとも思われます。

子供をあやすのが「照れくさい」「あやしかたがわからない」という人は、

ご自分の感情を押さえつけてでも子供が喜ぶであろう行為をする愛情が

希薄である人であるようにも思われてしまう時もあります。



自分の照れくさいとかあやしかたがわからないという感情を超越したところに
子供に対する愛情の深さ偉大さが垣間見えるような気もしないでもないのです。


子供が宝物であるのは、

子供の存在そのものが宝物であると同時に、



子供を前にした時の人間の感情が
子供を愛しいと思う感情とともに

最も美しく純粋に輝く瞬間であるからであるとも

考えられるような気もしないでもないのです。



なので僕は貴女に「しつこい」と云われようが、
僕が面倒くさいときでも、照れくさい時でも
恥ずかしい時でもいつでもどこでも

僕は貴女に「好き」と「愛してる」という本心からの


意思表明だけは言霊の力と神聖なる霊気に従い、

発信させ続けさせていただきたいのです。



よろしくお願いします。