どうどうめぐり | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

「彼女の考えはどうどうめぐりをするばかりだった。まるで循環論というやつみたいに彼女を苦しめる。」(パット・マガー「探偵を探せ!」)



どうどうめぐりをしてしまう思考にはまってしまったら、
その解決策は、アタリマエにそれをほぐしていくしか方法はないようです。


「ハムレットは名作である。なぜなら『ハムレット』は素晴らしい作品だからだ」といった言明は循環論法です。



仮定であるべき命題の単語が、証明の論理に組み込まれてしまっています。
これではいつのまにか仮定が決定となり、証明が決めつけとなってしまいます。

いつまでたっても、どこまでいっても真実は見えてこない。
循環論の難儀でやっかいな陥りやすい欠点とも言えるのかも知れません。


「聖書こそがものごとの正しさを決定する。

 なぜそうなのかというとそれはイエスが述べた言葉であるからだ。

 なぜイエスがそう决めたとわかるのか、というとそれは聖書に書いてあるから(聖書が正しいから)である。」といった論証が見られます。


これもまったくの循環論法として、論理学者や証明物理学者のあいだでは、よく使われる例え話の一つだそうです。



循環論からの脱却には弁証法と三段論法が有効であるというのが、論理学者と証明物理学者のあいだでは定説であるようです。


コラム・インテリジェンス「性差のレヴィナス」

http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40081923.html

コラム・インテリジェンス「恋愛って、なに?」

http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/39623884.html



「彼女は頭の中で繰り返し蒸し返しこの思考を抑えつけたが、その度に自信が揺らいでくる。」
(パット・マガー「探偵を探せ!」)


循環論にはまってしまったら、否定すればするほど、押さえつけようとすればするほど、陳腐な思考の虜になっていってしまうようです。


一つ一つの仮定命題を否定してみる。
一つ一つの証明理論を否定してみる。

そこから新たに弁証法的三段論法を組み立てていくことにより、新たな視点、新たな可能性も広がっていくようです。



「あれは間違いだったのかしら?とうとうしまいには彼女はかぶとを脱いでしまった。」(パット・マガー「探偵を探せ!」)


自ら循環論に陥ってしまった場合には、弁証法的三段論法を使用しなければ、自信喪失、支離滅裂、落ち込み、投げやりになってしまう場合も多いようです。



「私が降参してしまうのを待って、じっと私を見つめているのだろうか?」
(パット・マガー「探偵を探せ!」)


ついには被害妄想に陥ってしまう場合もあるようです。

循環論に陥ってしまうのは避けなければならぬ道でもあるように思われます。



が、誰もが陥りやすい循環論。

弁証法的三段論法を知っているかいないのかで、そこからの脱出が可能になるのか不可能であるのかの分かれ道ともなるのかも知れません。