心に類す/心の種類
「君子は厚(あつき)に過ち、愛に過ち、廉(れん)に過ち、介に過ち、小人(しょうじん)は薄(うすき)に過ち、忍に過ち、貧に過ち、通に過つが如きなり。凡(およ)そ人の過(あやまち)あるや其の心に類す。」
(吉田松陰「論語、人の過の章解義」)
── 立派な人は、人情に厚いためにあやまち、愛のためにあやまち、無欲なためにあやまち、世間の人に群れ親しまないことのためにあやまちを犯す。つまらない人は、人情にうすいためにあやまち、残忍なためにあやまち、貧欲なためにあやまち、情を通じたためにあやまちを犯す。人の過失は、その人の人物の種類に応じるものである。なので人の過失を見れば、その人がどんな人かが分かる。──
立派な人だとはまるっきり思えないけど、自分自身の過ちの数々を振り返れば、人情に厚すぎては過ちを冒し、愛の熱情に駆られては間違いをしでかし、欲が少な過ぎるために冒した失敗もあり、世間体を気にしな過ぎるための過ちも数知れないことに思い当たります。
いくら松陰が慰めてくれても、肯定してくれても、こればかりは自分自身で納得もできない過ちの数々であると思われます。
思えば、数が多すぎるから、自分自身でも納得できないし、過ちが多すぎるから、松陰の慰めも、自分自身を納得させることができないようにも思われるのです。
それでも松陰のこの言葉を思い出せば、いつでもホンワカした気分にはなれます。
もしも、御自分自身で、僕のように、あやまちの多い人生を歩んでしまっていると思われている方々がいらっしゃったのなら、御一緒に松陰に慰められようではありませんか。
松陰のこの言葉は、我々をいつでもホンワカした気分にしてくれるとも思われます