美知武習録110(バルタザール) | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

「最後までやりとげる」(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)


何を最後と設定するのか、どの時点で完結と見なすのかは人それぞれ。

その辺りにも人生そのものの選択、分かれ道が潜んでいるのかも知れません。


「細心の注意を払って計画を立てても、それだけでは実行したことにはならない。こういう人は何も達成できないし、名をあげることもない。計画は、どれほどうまく考えたものでもそれ自体では実行はできないのだ。」(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)


これもアタリマエといえばアタリマエ。

だからといって「こういう人は何も達成できないし、名をあげることもない。」とまでは言い過ぎであるような気もしないでもない。


計画だけでも何かを達成できてしまう場合もあるのかも知れないし、達成できなくても達成できたような気になれるだけでも、人は前に少しだけ進み出せるような気もしないでもないのです。


ましてやみんながみんなバルタザールのように「名をあげる」ことに執着しているわけでもない。

バルタザールのいう「名をあげる」ということがどのようなことを指しているのかは皆目わからないけれど、「名をあげる」ことに固執する人生も如何なものかの感も否めないのです。


「障害を乗り越える努力はしても、その成功に甘んじてその後何もせず、最終段階を見届けることがないようではいけない。」(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)


最終段階をどこに設定しているのかも人それぞれ。

バルタザールの最終段階が「名をあげる」ことだとしても、そんなものにはハナから興味もなく、ただ純粋な自己向上心だけを持って進み続けている人もたくさんいる。


途中でくじけて投げ出してしまっても、それが最終段階であるとは思えません。

一度投げ出しても、また始めてみるもの良いし、他の目標に進み始めてみるのも、またひとつの選択肢であるとも思われます。


最終段階とは、自分が次に何を始めたのかを見極めることが重要であるような気もしないでもないのです。


「こういう人は、能力はあるのに決意に欠けるため、信用されない。目標が価値あるものなら、最後までやりとげるべきだ。」(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)


「目標が価値あるもの」かどうかも人それぞれ。

それぞれの価値観で進んで行っていただければ、それでよろしいかとも思われます。

「最後までやりとげる」かどうかという「最後」も人それぞれ。

それぞれの設定した「最後」に向かって少しずつでも進んで行ければ、それで良しというような気もしないでもないのです。


「目標は必ず達成すること、目標を立てただけで満足してはだめだ。」(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)


まずは目標を立てること。目標を達成するのかしないのかよりも、そこに向かって進んでいることが大切であるような気もしないでもないのです。


ゆるゆると、ゆったりとした気持ちで長い目で、進んだり挫けたり、中止したり再開したり、自分なりのペースで進まれることが肝要かとも思われます。


絶対放棄、完全に投げ出すことさえしなければ、そこに一縷(いちる)のチャンスを見出すことも、けっして不可能ではないのかも知れません。