「人の話を徒(いたずら)に聞かぬ事と、聞いた事見た事、皆書留め置く事、肝要の心得なり。」(吉田松陰「松本源四朗宛手紙」)
アタリマエのようだけど、アタリマエにはなかなか実践し続けるのが難しいことのようです。
が、松陰は、これが肝要であると言い切っています。
肝要──人間の体の中で最も重要な部署は内臓、とくには肝臓。
──優美な扇もその根元の要(かなめ)が外れれば役に立たない。
肝要とは肝(きも)と要(かなめ)を重複させるくらいに、すべてにおいて最重要であり必要最低条件でもあるようです。
で、その最重要であり必要最低条件でもある肝要とは何かと問えば、松陰は、人の話を真剣に聞く事、メモる事であると述べています。
これはアタリマエのようだけど、アタリマエにはなかなか実践し続けるのが難しいことのようです。
アタリマエのようだけどアタリマエに実践し続けるのが難しい事は習慣化してしまうのが手っ取り早いようです。
インフルエンザの予防に手洗い、うがいを習慣化する人は多いようですけど、よく聞く、書くを習慣化できる人は少ないようです。
それならオバカにならないための予防に、よく聞く書くを習慣化する人がもっと増えてもよさそうなものなのに、なぜかこれはあまり実践化されていないようです。
自分もインフルエンザにかかる可能性があると思えば予防もするけど、
自分はオバカにはならないと思えば、その予防も怠るという事なのかも知れません。
「カツラです」という人はいるけど「ソクラテス」を語る人は少ない。
「私は何も知らないということを一番知っている人間である」(ソクラテス)
コラム・インテリジェンス「地元永住型ソクラテス」
「自分自身が無知であることを知っている人間は、
自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。」(ソクラテス)
コラム・インテリジェンス「恋する哲学」
誰から見てもカツラまるだしなのに「カツラではない」と主張する人はいるけど、
「ソクラテス」を語る人が少ないのと同様に「カツラです」と主張する人も少ない。
人はインフルエンザにかかる心配はしても、自分がバカである心配はしないらしい。
「思い上がり」は「イッチョあがり」で、人生も思い上がった時点で終わってしまっているのかも知れません。
お寿司屋さんのお茶は軽くて「アガリ」と言うけど、
重い「アガリ」は誰も歓迎してはくれないようです。