「多芸を磨く」(バルタザール「賢人の知恵」)
浅く広くではダメ。
浅く広くでは結局何一つ有用なものは持ち合わせていないのと同じになってしまうらしい。
「多彩な側面を持つ人は、その側面の数だけ魅力がある。いろいろあってこそ人生は楽しいのだ。自分のさまざまな面を分け隔てなく仲間に提供する人は、みんなを豊かにする。」(バルタザール「賢人の知恵」)
抜きんでた才能、有用な側面を持てば、負の側面を披露してもオオメに見てもらえる。
広く浅くで、結局何一つ有用なものを持ち合わせていなければ、負の側面が露呈してときには蔑まれるだけになってしまうかも知れません。
「生兵法は大怪我のもと」
──コラム・インテリジェンス「神への質問状」
「知性を鍛え、センスを磨こう。人的資源だけでなく、世の中に役に立つものはすべて活用するのだ。」(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)
近頃では、トモダチが異様に大きく扱われ、それを人的資源と勘違いしてしまう人々も少なくなくなったような気もいたします。
が、トモダチの輪で満足してしまえば、自分自身の知性、センスを磨く時間的余裕も、制限されてしまうとも思われます。
自分が居心地が良い──同レベルの仲間ばかりと居ては、何も抜きんでたものを手に入れることは難しいような気もいたします。
人の脳のキャパは一定だそうです。
トモダチの輪が──ゆるい関係に浸かってしまっていれば──脳の一部でも占有してしまえば、その分、自分の知性、センスを蓄積できるスペースは少なくなってしまうような気もしないでもないのです。
居心地の悪い所は脳が刺激を受けている所でもあるようです。
刺激を与えられない脳はペット同様、野生の動物が出現すれば、ただ狼狽えるだけ、となってしまうのかも知れません。
友は友として、ときにトモダチの輪から抜け出して、単身、世間的に通用する知性、センスを磨く時間をつくることを忘れないことが大切なのかも知れませんね。