「能はざるに非ざるなり、為さざるなり」
(アタワザルニ アラザルナリ、ナサザルナリ)
(吉田松陰「講孟余話」)
──できるか、できないかは、やってみなければわからない。
事を前にして自分の能力の有無を問うても意味がないのだ。
考えるべきは、やるか、やらないか。
自分で自分の限界を決めずに、とにかくやらなければ
何事も成就できることはないものと心得よ。──
「今汝は画(カク)れり」(孔子「論語」)
コラム・インテリジェンス「おしゃれな論語」
──弟子が「先生のおっしゃることはとてもすばらしく、
実践したいのですが、なかなかに私ごとき者にはできません」と言う。
孔子は「本当にやる気のある人間は、できると信じて行動し、
途中で倒れてしまうものなのだよ。それに比べてお前は
まだ倒れてもいないばかりか、何もやってやしないじゃないか。
自分で自分の限界を決めて、やらない・できないことの言い訳を
しているだけのようにしか見えない。──
コラム・インテリジェンス「論語ダイエット 」
人の脳は、脳自体のエネルギーを脳が自動的に節約するようにできているらしい。
脳としては、できるだけ働かないように、自己管理している。
できない、無理、不可能…否定は脳にとっての楽チン。
なにも考えずにシャットアウトしてしまえば済むことだからだ。
が、否定命題は証明できない。
コラム・インテリジェンス「否定の光明」
やるか、やらぬか、やろうとするには考えねばならない。
やらなければ、その時点でシャットアウトしてしまうのだから、
脳はまったくエネルギーを消費せずにすんでしまう。
脳のおもうつぼなのかも知れません。
コラム・インテリジェンス「肯定陛下 」
人の脳は楽チンなようにできているらしい。
やらない、やろうとさえしなければ、何も考えずに済む。
やる、やってみる、やろう…肯定するには考えなければならぬ。
人の脳は楽チンなように出来ているらしい。
が、脳は使わなければ、どんどんおバカになっていくのも事実。
やらない…否定はオバカ度をより救いのないものへと導く。
やる…肯定は向上と知へのエネルギーの源ともなるのかも知れません。
オバカに成り下がった脳が「できない」「やらない」と判断したことは、
オバカな脳の戯言にすぎない。
おバカな脳の修復、改善、向上には「やる」「やってみる」が
必要とされてくるのかも知れません。