沈黙を武器と心得る | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

「黙する時を知る」(バルタザール「賢人の知恵」)

バルタザールが長期にわたり世界各国の人々に愛読されている魅力のひとつは、
修道士であるバルタザールのアフォリズムには、とても神に仕える人とは思えぬような
諌言や教訓、超実践的、超人間的な言葉が散りばめられているからなのかも知れない。

「ことを始めるにあたっては、ちょっと曖昧にしておこう。
 相手に手の内を見せるのは、軽率なだけでなく品位に欠けている。」

私事、母は常に「『絶対』という言葉を使う人間は愚かで信用に値しない」
「絶対という言葉を使う人が大嫌い」と述べていた。

「ことを始めるにあたって」ではなくても、確信的な意見を述べる人は信用しにくい。
「絶対」などと確定的な意見を述べる人よりも、「曖昧にして」いる人のほうが
なんだか信用できるような気もしないでもない。

もっとも、ひとによっては、「絶対」を多用する人に安心を覚え、
それが洗脳という非人格的関係を作り上げていってしまう人もいる。

が、現実には、「絶対お得」「絶対儲かる」の話で、
お得であったり儲かったという話は少ない。

「こちらの意図を伏せて、謎めいた様子で気を持たせよう。心の奥底にある個人的なことを
 洗いざらい話したりしないのと同じだ。」(バルタザール「賢人の知恵」)

とても修道士の言葉とは思えなくはないですか?
なんだか詐欺師か権謀術策に溺れる人間の言葉にしか聞こえないような気もしないでもない。

が、現実的には、これで正解なのかも知れません。

ヒトは、腹の内をすべてさらけ出したとしても、
すべてを正確に他者に伝えるほどの能力は身に付けられないのではないでしょうか?

すべてをさらけだして、誤解曲解されるよりは、曖昧な状態でのすべりだしのほうが、
はるかにそこからの展開が広がっていくようにも思われる。

「黙するときを知ろう。あまり早く目的がおおっぴらになると、たちまち非難にさらされる。
 待たせることで、いつも周囲の注目を引き付けておくことだ。
 その間、あなたは相手を思い通りにできる。驚異と畏怖の念をもたらす神のように。」
(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」)

ここも修道士というよりも、詐欺師のマニュアルにあるようなセンテンス。
が、現実的には、これも正解であるのかも知れません。

エネルギー不滅の法則によれば、
「決めつけ」「確信に満ちた」話をすれば、かならず同じ質量のエネルギーでの反発が
返ってくるのはアタリマエなのだ。

「恋愛定理」


それでも、いっきにまくしたてるような話し方をするよりは、
ときどきの沈黙を混じえる話し方のほうが、
こちらの真意が相手に伝わる確率は高くなるようにも思われる。

聞き手に考える時間を与えるのだ。
聞き手にこちらの話をじゅうぶんに理解するだけの時間を与えることも大切であるのかも知れない。

それも思いやり、それも配慮、それも気配りのひとつであるとも思われる。
思いやり、気配りのない人は、自分の言いたいことを一気にまくしたてようとする傾向がある。

この時点で、ヒトは、相手を判断してしまう場合もある。
自分の話に間を入れぬ人、このような人は配慮に欠け軽率、自己中であり、
そのように思われてしまうという明晰さにも欠ける人と認識されてしまうとも思われる。

「黙するときを知る」
ときに沈黙したり、話に間を入れることは大切。

昨今、欧米では、無口な人は知恵が足りない人とか
アタマの回転の遅い人という認識が高まっているようだけど、

我が国では未だに、「沈黙は金」「無口な人は思慮深い」的な認識を
美徳とする傾向が残っている。

どちらがどうというわかでもなく、バランス。
すべてはバランス、塩梅、ほどほどに集約されてしまうのかも知れません。

「法華経と方丈記」

「黙する時を知る」
僕は還暦になっても尚、この扱いがヘタクソであるような気もしないでもない。
が、心掛けてはいる。

現役の時にはビジネス的思考が強かったから、
この塩梅も活用できていたようにも思われなくもない。

が、還暦。
現役を退けば、ただのジジィに限りなく近づいていく。

ジジィがオジさんでいるためには、この塩梅も大切であるのかも知れません。