還暦オジさんでさえ、いや、オジさんのくせに、
同じ内容の話を聞くにしてもブサイクな男に聞かされるよりは
イケメンに話してもらった方が心地よい。
同じ内容の話をしていても、話し手がブサイクであれば、
その内容までもが興味を失ってしまいがちではあるけれど、
同じ内容の話をしていても、話し手がイケメンであれば、
その内容までもが興味深く聞き取れるような気もしないでもない。
ブサイクに正論を説かれれば不快でしかないけれど。
イケメンが正論を述べれば即座に納得できてしまう。
「説経の講師は、顔よき。」(清少納言「枕草紙」)
清少納言の当時は、説教といえば坊さん。
坊さんは、まず顔である、という。
清少納言に言わせれば、説教をするのは、イケメンの坊さんに限る、というわけだ。
「講師の顔をつと守らへたるこそ、その説くことの尊さもおぼゆれ。」(清少納言「枕草紙」)
講師の顔をじっと見つめていてこそ、
その説いてる事の尊さが身にしみて感じられるのよ。・・・みたいな主張。
たしかに・・・ヒトは、人の話を聞く時は
無意識にでも話手の表情をも読み取ろうとしているらしい。
それでこそ、話の内容も、より深く理解できるということなのかも知れない。
「ひが目しつれば、ふと忘るるに、憎げなるは、
罪や得らむとおぼゆ。このことは、とどむべし。」(清少納言「枕草紙」)
よそ見しちゃえばすぐに忘れちゃう。
不細工な坊さん講師は罪でしょうって思う。
この事はもう言うのは止めようと思うけど。・・・みたいな主張。
よそ見しなくても忘れちゃう女子も多いような気もしないでもないけど、
まぁ・・・ブサイクの話よりは、イケメンの話のほうが忘れにくいのかも知れません。
ただし、例外はある。
私事、僕の周囲の女性たちは、みな一様に僕の話をよく聞いてくれる。
が、これは僕がイケメンだからではなく、
「ちゃんと聞いておかないと、後でなにを言われるかわかったもんじゃない」
だからなそうな。
女性に話を聞いてほしいなら、イケメンに生まれるか、さもなければ
「ちゃんと聞いておかないと、後でなにを言われるかわかったもんじゃない」
な男になってしまうより他にないのかも知れない。
「少し年などのよろしき程は、かやうの罪得がたのことは、書き出でけめ、
今は罪いとおそろし。」(清少納言「枕草紙」)
当時は、坊さんの説教は尊いものとされていた。
女性が坊さんについて語ることは罪深いこととまで思われていたらしい。
清少納言は、前にこのことはもう言うのは止めようと思うみたいなことを書いたのは、
年若かった頃は、このような罪を犯しちゃうような事を平気で書き表しただろうけど、
今は罪がとても怖いから・・・みたいに述べているけど、結局は書いちゃっている。
当時、清少納言は30代キャリア。
オジサンから見れば、これからという年代の女性たちが、
「もう若くはない」と思ってしまうのは今も昔も変わらないのかも知れません。
それでも清少納言は、自分が罪深いと思いつつも、
ブサイクよりもイケメンの説教を聞きたいと思う気持ちは、
「それほど罪深いことでもないんじゃない?」と続けている。
いつの時代も、女性は潔い。女性の話は小気味良い。
還暦オジさんもブサイク男の話は聞きたくないけど、
イケメン男の話よりも女性の話のほうが聞いていて飽きない。