女性 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

今日では自ら「恋の達人」などと名乗る人も少なくないらしい。

が、本来は周囲が「貴方は恋の達人ですね」などと評し、
それに対して御本人は「いやいや、そんなことはないのですよ」
などという受け答えがなされるのが慣例であり真でもあったらしい。

自ら「恋の達人」などと名乗る人の話を信じるのか、
「いえいえ、そんなことはないのですよ」とおっしゃる人の話を真として受け止めるのか、
そこには人間スキルと品性が問われているような気もしないでもない。

「女よ、経験がぼくに教えてくれていたはずだった。
 君を見つめる者は、みんな恋に陥るのだと。」(バイロン詩集「女よ」)

恋の達人、恋愛の神様などと謳われたバイロンの女性観。
バイロン本人は恋の達人どころか、
自分は恋に苦しめられている被害者であると思っていたらしい。

男が女性を見つめる段階で、その女性は、
その男にとって興味の対象である場合も多い。

だとすれば、男が女性を見つめた場合は、ほぼ確定的に、
その女性の虜になる可能性が高く、その段階で恋に陥るのは必然でもある。

バイロンは、そのことを百も承知で、タイプの女性を見つめてしまう。
バイロンの経験からは、そのときから、恋の苦悩が始まることは知っているはずなのに、
そのことをバイロン自身が最も良く知りながらも、恋の呪縛からは逃れられない。

バイロン独特の自虐的“出だし”。

「ほんとうに、経験で分かっていたはずたっだのだ。
 君の、どんなに堅い約束も、何にもならぬものだと。」(バイロン詩集「女よ」)

女性の口約束は当てにならないらしい。
バイロンは、それを経験から、嫌というほど知っている。

「それだのに、魅惑に満ちて、君が僕の前に立つとき
 僕は、すべてを忘れて、ただあこがれてしまう。」(バイロン詩集「女よ」)

わかっていても、好みの女性が目の前にいれば、
ただそれだけで、男の脳細胞は朦朧とし、ただ見とれてしまうだけなのだ。
私事、そして見とれ続けていたいと願うのも男の習性であるのかも知れません。

「ああ、記憶というもの! まだ希望がのこり
 君がわがものだと思う時は、まったくすばらしいのだが、
 
 希望もやぶれ、情熱もさめてしまったときは、
 どんな恋人でも、みなその想い出を呪ってしまう。」(バイロン詩集「女よ」)

愛する女性との記憶、その想い出や希望が残されている場合には、
その時までは男は至福でいられる。

が、まったく希望がなくなれば、見込みなしの状態と自覚してしまった瞬間、
すべての想い、すべての記憶が、呪わしく思われるらしい。

「女は、美しくて、甘ったるい嘘つき
 男などは、すぐに君を信じ込んでしまうのだ。」(バイロン詩集「女よ」)

・・・・・どうです?・・・
現代の危機管理においても、真の危険を知る者だけが用心深くなれるなどという。
真実を知らぬ者ほど大胆で、真実を知る者は臆病になる。

経験者は、その扱いも慎重に、成就を目指すが、
経験浅き者は、その扱いも雑であり、
成就の確立も“押して知るべし”の結果に終わってしまう。(私見)

「みずみずしい碧の色にまばたく瞳を
 または、黒々と耀よう瞳を、または、ハシバミ色の眉のかげに柔らかに光る瞳を
 ひと目みるときの、胸の立ち騒ぐこと。」(バイロン詩集「女よ」)

恋する男は、女性の瞳に、まばたきに、輝きに、恋をする。
恋する資格のない男は、女性の瞳以外の部位に視線を落としてしまう。(私見)

「その契りの一つ一つを信じてしまって
 彼女が心からの真実(マコト)をいうのだと聞き惚れてしまい

 おろかにも、それがいつまでも変わらぬものと思い込む。
 ところが、おやおや、彼女は、一日のうちにも変わる。」(バイロン詩集「女よ」)

男からみれば、女性の心変わりの要因は、わかりにくい場合も多いらしい。
女性から見れば、「女を御存じない」ということなのだが、
「女を御存じない」男を、少しだけ御容赦してほしいときもあるのかも知れません。

ところが、多くの女性は容赦しないのだ。

「永久に、まちがいなしという記録はこうだ──
 ──『女よ、君の契りは、砂のうえに彫られたもの』」(バイロン詩集「女よ」)

最初から、そのように思って、女性とのお付き合いに臨めば、いくらか楽チン。
必用に女性にしつこく付きまとう男も減少し、しつこくしなければ、
多少でも、意中の女性との未来の可能性も掴み取れるのかも知れない。

「女なんかは怖くない」
「女なんかは意のまま」などとおっしゃる自称達人もいらっしゃる。

「女はわからぬ」
「女には騙されるな」と愚痴るバイロンもいる。

「海は安全」「山も楽勝」という人間を信じるか、
「海も山も、それなりに、万全を期して臨まねば、とんでもないことになる」という人間を信じるか。

どちらにしても問題は、

女性の素晴らしさは、海の美しさに勝り、
女性の偉大さは、山の雄大さをも凌いでしまうということなのかも知れません。