見失う「今」 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

アタリマエに、幼少時から、何も見聞きしなかった少女が、
10代でアイドルになるのは難しい。


アタリマエに、幼少時から、何も運動をしなかった少年が、
甲子園のマウンドに立つことは不可能とも思われる。


アタリマエに、大切だと思われる今を、
見失いがちになるのも、「今」ではないかとも思われるような気もしないでもない。


ヒトは、未来を見据えて生きて行かねばならぬことはわかっていても、
日常生活の中では、
一つ一つの思考や言動に、「今」と「未来」を結び付けて暮らしていくのは、
なかなかに困難でもあるようにも思われなくもないのです。


が、望むと望まぬにかかわらず、
我々が個にもつ過去は、確実に「今」と関わってきてしまう。


個にもつ──小荷物、手荷物は、自分自身で管理すべきであるらしい。


過去に人生を見つめ直したことのない人が、いきなり人生を達観できてしまう確立は、
限りなくゼロに近いほど、アタリマエに不可能であるのかも知れない。


素敵な「今」は、素敵な「過去」に由来し、素敵な「未来」は、素敵な「今」に由来する。


「しかし留意しておいて欲しいのは、青年期の基礎の上に打ち立てられた老年だということだ。
 白髪もシワもにわかに権威に掴みかかることは出来ぬ」(キケロ「対話篇」)


私事、白髪もシワも、自慢できるほどに保有できているけれど、
権威どころか真意にも極意にも縁がない。


こんなはずではなかった。


青年期に、もっと切磋琢磨、修練を積んで置けば、
「今」の自分のような愚かな老年期を迎えなくともすんできたはずである。


還暦直前。
感激直前のような昂揚はないけれど、観劇直前のようなワクワクはある。


なんといっても「還暦だから」という言い訳が、なにかにつけてまかり通るような気もしているのだ。


「年寄りだから」「還暦だから」というだけで、すべてを間に合わせてしまうような、
僕のような愚かな晩年を迎えぬためにも、「今」を楽しんでしまうだけではなく、
「今」を大切にしてほしいと思うようなときもあるような気もしないでもないのです。


僕のように、白髪とシワが備わっただけで、
「年寄りだから」「還暦だから」で済ませてしまうような人間は、その実、中身はカラッぽなのだ。


「しかし留意しておいて欲しいのは、青年期の基礎の上に打ち立てられた老年だということだ。」


今からでも、さらなる老年を迎えるために、修行を積み重ねていこうと思う。


具体的には、
ジィさんなので、アイドル修行は無理そうである。
甲子園にも年齢制限と常識というものがありそうでもある。


が、僕にもできることがある。いや、僕にしかできぬことがあった。

偉人賢人は「俺のようになるな」とは言えないだろうけど、
僕なら「僕のようにはならないほうが良いとも思われる」くらいのことは言えるのです。