欲しがりません。 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

何かを目指したり、何かを手に入れようという欲望。

金持ちを目指せば、金に振り回される。
金を手に入れようとすれば、品性が失われる。

ヒトは、
金持ちを目指しながらも金にまったく振り回されないなどとは出来ぬ生き物であるらしい。

ヒトは、
金を手に入れようと目論見ながらも品性を高貴に保つことなどは出来ぬ生き物であるらしい。

金が欲しければ金のために働く。
金のために働いていれば、どこかに人としての不自然や理不尽に遭遇する場合もある。

「人生に苦労は付きもの」などというけれど、人生で何かを欲してしまうから、
その作用反作用としての苦労も生じてしまうのかも知れません。

エネルギー不滅の法則
──何かを欲するエネルギーは、かならず何かを失うエネルギーと等しくなる。

「人が欲しがらないものは人を苦しめることもない。

 既に老衰期にあるソポクレスが、色事の方はしているかと尋ねられ、
 『くわばら桑原、粗野で凶暴な主人から逃れるように、まさにそれから逃れて喜んでいるところだ』
 と言ったのは良い答であった。」(キケロ「対話篇」)

「人が欲しがらないものは人を苦しめることもない」

欲しがらなければ苦悩もない。
欲望のエネルギーは、
そのまま悪徳のエネルギーへと変換されてしまうような気もしないでもない。

「諸行無常」などという言葉もある。

単純に、「あらゆるものは生じそして滅する」と解釈してしまえば、
「欲望も、それが完結した時点で滅していく」と思われがちだけれど、

実は、その間のエネルギーは、
かならず負のエネルギーへと変換されてしまっていくのかも知れません。

この場合は、物理的なことだけでなく、精神世界においても、
徳とか善のエネルギーが醜悪なるエネルギーへと変換されてしまってもいるということが、
「無常」という言葉に繋がって行くような気もしないでもないのです。

「欲しがりません。勝つまでは。」などという戦時標語もあったけど、
これなどは最低のキャッチであるとも思えないでもない。

「欲しがらない」のは、良い。
が、「勝つまでは」では、勝ったら欲望の餌食になってしまうということなのだろうか。

まるで戦争に勝てばなんでもかんでも欲望を満たせるとでもいうようなチープを感じる。

「人が欲しがらないものは人を苦しめることもない」

僕は今、ダレノガレ、ではなく、誰かに、読んで欲しくてココに書いている、らしい。


「読んで欲しい」という欲望が、僕を苦しめているのかも知れない。


なので書きっぱなし、「読んで欲しい」という欲望を、なるべく遠ざけて、書きたいと願っている。


「読んで欲しい」という欲望を遠ざけることで、安然に書くことができる。
そして今度は「安然に書きたい」という欲望と闘わねばならぬ。


が、僕のように還暦直前のオジさんともなると、
その欲望のエネルギーを「だったら寝てしまえ」というエネルギーに変換する技も覚えた。


僕は欲望のエネルギーをもってして、
猛烈なエネルギーで、心地よい惰眠を貪るのだ。