「この事実は、ユーネマンが追及する容疑者が、
どうして被害者の神父と接点をもてたのかを証明する新しい手掛かりだった。」
「教授にして神父である名士殺害事件7」
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貴族の一員である伯爵という金持ちの家に生まれただけで、
御本人は何の取り得もないバカタレで能無し、
そのくせ見栄っ張りで浪費家でもあり、ギャンブル依存で女狂いの若い男が、
地位も名誉も、実力で手に入れて生きてきた神父のような男と
知り合うはずもないという当初の懸念は、見事に払拭された。
「殺人が発見された2日後の2月16日、ユーネマンはヤロスジンスキーのアパートに、逮捕状をもって赴いた。」
ヤロジンスキーの部屋では、飲めや唄えやの乱地気騒ぎの真っ最中であった。
己の借金のために、祖国も追われ、爵位も失ったヤロジンスキーは、
祖国ロシアからウィーンへと流れ着いてもなお、その放蕩癖は治らなかった。
ウィーンでも借財を重ね、女優や歌姫に貢ぎはべらせ、その日も、己の部屋で歌姫に歌わせ女優に舞わせ、
高級な酒を湯水の如くに振る舞い、自らも浴びるように飲んでいたという。
ヤロジンスキーにとっては日常、マトモな人々にとっては人生を謳歌しているが如くの真っ最中、
ヤロジンスキーは、ユーネマンとユーネマン率いるユーネマン支配下の警察官たちによって、
惨めにも逮捕されたのであった。
が、絞首刑を畏れるがあまりの強情、死への恐怖から、ヤロジンスキーは断固として自白を拒んだ。
「ユーネマンは有能な精力あふれた警察官僚であった。実際、犯罪学の歴史のなかでも、最も偉大で有能な
探偵の一人に数えられる。しかしユーネマンは、犯罪者心理の動向への洞察を欠いていた。
捜査当局はこの段階で、人間心理への鋭く深い理解を有するエドムント・カルハンという
帝国顧問官の有能な心理学者を招き寄せた。」
当時の有能な捜査官が、心理学にも長けていたとは限らないということなのかも知れません。
ユーネマンは、犯人逮捕には有能であったが、
犯人から自供を引き出す心理作戦においては、その力量は発揮できなかったらしい。
帝国顧問官にして有能な心理学者のカルハンは、ヤロジンスキーの経歴を洗い、その心理を分析した。
その上でいよいよヤロジンスキーへの直接尋問を始めたのであった。
優秀な人間と、そうでない人間の違いは、この一点に尽きると言っても過言ではないらしい。
優秀な人間と評される人間は、その下準備に、努力と時間を惜しまない。
優秀なバーテンダーは、その知識、マナーを身に付ける為に費やす努力と時間も、
そうでないバーテンダーとは比較にならないくらいに費やしているという。
そして日々の業務開始までに費やす努力と時間も、これまた、そうでないバーテンダーとは比較にならぬという。
グラスひとつ、コースターひとつの点検、管理にしても、彼らは細心の注意と集中力をもって行うらしい。
美味い酒が高くつくのは、彼らの努力と注意力、
集中力と、それに費やした時間への報酬も含まれているのだ。
優秀な顧問官にして心理学者のカルハンは、ヤジロベー、いや、ヤジロンスキーの経歴と事件経過
それに、これまでの取り調べ内容を精査した後、あることに気付いた。
「心理学的にもっとも興味深いポイントは、囚人(ヤジロンスキー)が、
殺された被害者の名前を言及しないことにあった。」
ヤジロンスキーは、自分で手を下し、無残にも、残酷なる手法により殺害したヨハン・コンラート・ブランク神父の
ファーストネームである「ヨハン」に特異な反応を残していた。
ヤジロンスキーは、ブランク神父の債権を売却する際、その領収書にサインを残していた。
債券の名義はアタリマエにヨハン・コンラート・ブランクであるのだから、
その売却者もアタリマエにヨハン・コンラート・ブランクでなければ不自然である。
ヨハン・コンラート・ブランクに成りすましたヤジロンスキーは、サインを書き始めた段階で、
「ヨハン」の「ヨハ」まで書いたところで、まるでその名前を書ききることに堪えられないかのように、
乱れた筆跡の「ヨハ」だけで中断してしまっていた。
証拠として残された領収書には、「ヨハ」という不自然で見苦しく、乱れた筆跡のサインだけが残されていた。
この点に着目したカルハンは、ヤジロンスキーに被害者のフルネームを語らせることから始めた。
「おまえが殺したのかそうでないのかはどうでもよい。が、ヨハン・コンラート・ブランク神父を知ってるね?」
「はい。知っています」
「え?誰を知ってるって?」
「彼を知っています」
「え?誰を知ってるって?何という名前の人を知っていると言ったのだ?」
みたいな調子の遣り取りが延々と続けられていたらしい。
「当然のことながら、容疑者の経済事情についても詳細な調査がなされた。」
「ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿」(ヴァン・ダイン著)より。
http://ameblo.jp/column-antithesis/entry-11885890179.html
「ファイロ・ヴァンスとヴァン・ダイン」