●Butch Cassidy and the Sundance Kid(1969・アメリカ)
監督:ジョージ・ロイ・ヒル 脚本:ウィリアム・ゴールドマン
音楽:バート・バカラック♪
・なにが好きかって、
こーゆー映画が一番好きです。
僕の映画の琴線三三七拍子の最初の三拍は、
一が脚本、二が俳優、三が監督なんですヨ
あとの三と七は、まあアレとかコレとかありますけど、
めんどっちいので割愛、ダッハッハッハ
で、絶対はずせないのが音楽。
(あえて音楽の無い映画もありますけど)
まあ当たり前のことですが、
この4つをクリアーしていて、ハズす作品は無いです。
脚本(原作の場合もありますが)はラストに、
監督はファーストシーンにエネルギーが集約されてますネ。
俳優は、作品の温度湿度調節を身をもってやってくれます。
不思議とラストシーンは憶えていても、
ファーストシーンって意外と憶えていないのってありますよネ=
コレはこっちの記憶回路の問題じゃなくて、
監督のエネルギーが充実していないってことですネ。
都合のいいことを言ってますけど、
両方思いだせないのは、大した作品じゃないって気がします。
自分にとってですけどネ。
■明日に向かって撃て!
…そんなワケで三拍子以上の本作、
先ず、「明日に向かって撃て!」という
キャッチコピーみたいな邦題が脳天に心地よく響きますネ
この作品より先に公開されたニューシネマの先駆作品
「俺たちに明日はない」に呼応するような邦題ですが、
“どうあがいても俺たちゃ今日で終わりだゼ、ハッハッハ~”
みたいな自暴自棄の「俺たちに明日はない」に対し、
こちらは「明日に向かって」なんかしようとしているワケですネ。
くたばるまではあがいてみせるゼ!という、
切ないながらも希望が感じられます。
邦題が生き生きしていた時代の名タイトルのひとつですネ。
そんな、わずかな希望を追いかける男2人と女ひとり…。
頭脳プレー専門のお人好し強盗ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)と、
短気で早撃ちのワザに秀でた無口な強盗サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)のコンビネーションの素晴らしさは今さら言うまでもないですネ。
そして若い女教師エッタ・プレイス(キャサリン・ロス)、
この女ひとりという設定が、
実は「明日に向かって撃て!」という作品の重心になっている。
と、同時にいい意味での青春映画のような清潔感をもたらしていますネ。
入れ替えるのを忘れた2日目の風呂に
クールバスクリンを入れるよーなもんですかネ…?
ま、全然違いますけどネ
でも希代のアウトローたちの悪行を描く映画なのに、
笑顔の喜び、心の平穏、清涼感が感じられるのは、
この女性の存在に尽きる。
大方この手のストーリーにメロドラマを突っ込むと、
まだるっこいダラダラ感が生まれてテンポがにぶるんですが、
こいつはそうじゃない。
(余談ですが、ファンの方には申し訳ありません。
例えば「コールド・マウンテン」の、いっぱい賞を貰って賞賛された
レニー・ゼルヴィガ―のメロねちっこい芝居の類がワタクシ苦手でございます。
あーゆーのがドラマのテンポを崩す気がします。)
まず、こんな危険な逃避行であればあるほど、男に愛情の深さを求めたり、
仕事のことにいちいち口出ししたり、フツーならヒステリーや涙を
ブンブン振り回しながら絡んでくるんですが、何しろしつこくない。
「アタシ、服が破れたら縫ってやるし、怪我したら手当てもするわよ、
でもあんたらの死ぬ姿は見たくない」
こんな言葉で、自分の中の献身と愛情の在り方を
さっさと伝えてしまうんですネ。
軽い相棒気分というのか、うれしいことに妙に分別がよろしい女性ですネ。
ある種、ドラマにとっても男にとっても、テンポを乱さないように
とても都合のいい描かれ方とキャラクター設定なのですが、
そんなこと観ている側には気付かれないように、この女教師は、
ド真ん中にはシャシャリ出ない仕掛けになっています。
天下に名を馳せた悪漢たちの強盗稼業の荒っぽさを叩きつけるのと違って、
その段取りごとの面倒くささや厄介さ、失態を随所に織り込んで、
いかに悪党稼業が楽じゃあなくて、割に合わない不器用で無様なものかを見せる。
これがセンスのいいコミカルな見せ方で心地いいですネ。
鉄道強盗でマークされていた二人組が、列車襲撃の後、
いきなり追っ手に追われることになりますネ。
あまりにも執拗な追跡に音を上げた主人公たちは、昔馴染みの保安官に
軍隊に入るからこれまでの悪事を御破算にしてもらえないかと願い出る。
はたして二人をまともな友人として思いやる保安官(ジェフ・コーリー)が
こう口にする。
「今さら軍隊に入ろうってのかい?
そりゃあブッチ、お前さんはなかなかいい奴だし、
キッドの銃の腕前も一流だゼ。
賞金首にしとくにはもったいないよな。
…しかしよ、わかってるだろ…もう手遅れだゼ」
こんな手遅れになった男たちの行く末のドラマである。
手遅れだからと納得する男はいない。
手遅れだからとあっさりあきらめる男もいない。
男はなんだかんだカッコつけたところで、往生際が悪い生き物だ。
その往生際の悪さをどう見せるかでカッコよさが決まると言ってもイイ。
かくなるあきらめの悪さこそが映画の主人公たちにとって
重要なモチベーションになっている。
しかし、馬にまたがり銃をかざす強盗たちにとっての栄華時代は、
とっくに終わっている1890年当時。
新しい文明があふれ始めたアメリカの新時代、
古いスタイルのならずものたちも、いやおうなく新しいスタイルに
転身しなくては生きていけなくなった歴史の転換期。
何もかも手遅れの中で、異郷の地への逃亡を夢や希望にすり替えつつも
苦し紛れにあがいてみせる男たちの生命感は、何度見てもいいものだ。
そして、
ボリビアにたどりついて野宿しながら焚火を見つめる言葉少ない3人の姿、
どこか途方もなく寂しい…。また、それがたまらなくイイ。
★★★★★
採点基準:★…5個が最高位でマーキングしています。★…は★の1/2です。
♪やはり、
バート・バカラックの傑作となるサウンドトラックは、永遠の名品ですネ