マッサージのポイントが
ちょっとズレてて気持ち悪い
料理の味付けが
美味しいんだけどなんか足りない
見たい絶景ポイントが近いのに
なかなかビンゴの場所にたどり着けない
そんな感覚がずっとあった気がする
いや、正確にいうと 今もある
近いんだからいいじゃん
ほとんど変わらないからいいじゃん
そう済ませられる人もいるとは思う
けど、私はアジャストしたいって
ずっと思ってた
洋服だって、雑貨だって
アジャストした時の感じは
いつもシンプルだ
「あ、コレ!」
「THIS IS IT!」
躊躇せず、そう分かる
清々しさが、胸が広がり
巡り合えた感動に包まれる
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なのに、アジャストって
なかなか起きないから
年を重ねるごとに
こんなもんだよね人生、とか
こんなもんだよね自分、とか
そんな風に妥協しながら
ちょっとずつ
自分を諦め、なだめながら
歩むことが増えた
それなりに快適だったし
守られている安心感はあったから
何となく片目は瞑って
後ろめたさは見ないようにしてた
でも、本当は
いつだって
もっと迷いなく
パッションを持って
走りたいって思ってた
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走ってみても
もし、見つからなかったら?
また、見つからなかったら?
そんな怖さもある。
けど、スラムダンクで
安西先生が言っていたように
諦めたらそこで試合終了なんだ
アジャストしたいなら
アジャストするまで
動き続けるしかない
転んでも
倒れても
休んでも
踏まれても
粛々と
走り続ける大切さ
黙々と
前へと進む愚直さ
自分自身が動き始めることは
いつだってできる
(5年前の今日@CUBA🇨🇺 懐かし〜♪)
スピプロで、改めてそんなことを
思い出させてもらっている