(今回の記事は、Louis Visionの『花火』を聴きながらお読みくださいませ)



ぼくは常々脳内言語がつい唇の隙間(すきま)から漏(も)れる癖がある。自覚するけれど、何回でも、無意識的に出てしまう。


先日、晩ごはんを食べてから近所へ街を散策した時の話だが。帰り道で全身が黒いスーツに覆(おお)われていた男性とすれ違った際に、「真っ黒なやつだね」っというセリフが頭の中で流れて、イアホーンをつけていたので、また口にしたのか、相手に聞かれたか、もう気づいた時は…こっち見てる!やばい、殺されるかもっ!と思いつつ、歩くスピードを上げて無事に帰宅した。

 

いつか、どこか、この癖のせいで命を絶たれるくらい、よくないなあと反省しているからお許しください。


宇宙人です。

 

11月に突入。涼しくおいしい空気を吸ったり、猛然爆発した食欲を受け入れたり、ゆっくり最近購入した書物の間を回ったりして、秋が終わるまで楽しんでおこうと思い穏やかな日々を繰り返す。幸せ。

 

皆様はどんな秋をすごしていますか?

 

書物の話だが、この間三浦しをんさんの短編集、「きみはポラリス」を拝読していた。恋愛を中心とした一冊で様々なラブストーリーを読みながら、「そもそも恋とか好きって何だ?」という発想がきっかけで恋について色々深く検討していた。

 

まず、「好き」とは、文字の通りで、ある人や事物に対して普通よりも好意を抱く。だが、人間は多様性なので、見解や基準もそれぞれになるし。さらに、一端で、性別を問わず相手と話し合って一緒にいると落ち着けて、単純に一緒に時間を過ごしたい気持ちだけで誤魔化された可能性もあるし。なのに、

 

「どうして恋に落ちたとき、人はそれを恋だと分かるのだろう。三角関係、同性愛、片想い、禁断の愛言葉でいくら定義しても、この地球上にどれひとつとして同じ関係性はない。けれど、人は生まれながらにして、恋を恋だと知っている──。誰かをとても大切に思うとき放たれる、ただひとつの特別な光。」(「きみはポラリス」のうらすじより)

 

考えれば考えるほど、改めて人間の大脳、いや、人間自体とは不思議だなあ、と胸を打(う)たれた。


「好きなもののためならなどというけれど、けっきょくのところ『好き』は苦しい。なぜなら、自分がしている行為にいちいち意味を求めるから好きだから頑張れるけど好きだから辛い。そしてまた、そのつらさこそがすきの証明でもある」(スピン第5号 ページ62)

 

CreepHyp(クリープハイプ)のギタリストを担当している尾崎世界観さんがそう書いた。なんだか共感しつつ、「苦しい」だけではなくカフェラテのように甘くて苦いものだろう。好きだから、相手への大切な思いを込めて自分の意識で行動して、結果よりも、大切にしたいのは過程でわくわくする瞬間が甘くて特別な思い出になる。今はそうではないけれども、時間が流れ成長してきたぼくたちにはいつかそうなる。ぼくはそう思った。


好きだからこそ、後悔したくないのだ。


80億人の中で、もし、無意識のうちにドキドキさせて、一緒にいると息するだけでも妙に自分なりに落ち着ける、こんな自然な関係である方と出会えれば、相手の返事より、どうかこの貴重な気持ちを素直に伝えてください。


それでは、今日はこのあたりで。

ではではー。