昨年2023年2月8日夜、路上で大動脈解離に倒れ武蔵野赤十字病院へ救急搬送。2月9日深夜0時から緊急大手術、2月10日GICUで麻酔から覚醒。3月退院。その後、5月に胸が腫れる感染性合併症を併発。9月と10月に2回追加手術を受け、現在に至る。1年経過を機に「2023病院日記」と題して備忘録を書きます。
第一期 2月8日入院から3月までの流れ
2/8 緊急搬送にて武蔵野赤十字病院へ運ばれる
2/9 深夜0時~8時緊急大手術 のちGICUへ
2/10 昼間 麻酔より覚醒
2/13 口に挿管されていた人工呼吸器外す 替わりに酸素吸入器装着
2/15 鼻の酸素吸入器に変更となる 鼻から食事注入開始
2/18 酸素吸入器外れる 口からの食事開始
2/21 一般病棟へ移る
3/7 退院
3/29 一か月検診
ナースコールが命!
これは実際にベッドの上で寝て動けなくなってみて切実に感じたことです。
ハタから見ていたら、ナースコールが手のすぐそばにあったら、それで大丈夫と思うのですが、
寝て、かつ手も身体も不自由な状態だと、ナースコールを探すのが大変なのです。
動けなく、かつ声も出ないとなると、何か意思を伝える具体的かつ確実な手段は「ナースコール」オンリーになります。
しかし、そのナースコールが探せないと、ものすごく不安になるのです。ものすごく焦ります。
いくら手のすぐそばにあったとしても、なかなかボタンそのものに辿りつけないものなのです!
なので私は、必ずナースコールボタンを手の中に握らせて貰っていました。
「ここに置いておきますね」と言われても首を振って手をグーパーさせて「ここに握らせて欲しい」
という意思表示をして、お守りのように手の中に握りながら寝ていました。
人口呼吸器を外しても、すぐには声が出るようにはなりません。
しゃべり声が戻ったように思えたのは(まだ納得は出来ていませんでしたが)4月半ば~5月くらいだったと思います。
「そんなに心配しなくても、呼んでくれれば、いつでもすぐそこに居ますから」とは言ってもらいましたが、
だって思うように声が出ないんだってばぁ~!・・・
廊下のナースセンターに聞こえるような声が出せる自信はありませんでした。
ナースコールがこんなに必要でこんなに心強いアイテムになるとは!
手も身体も声も不自由な状態で入院してみないと分からなかった事でした。
人工呼吸器を外す
手術の時から私の喉に「刺さっていた」(笑)人工呼吸器を外したのは、入院からまる5日経ってからでした。
症状の軽い人は、術後 数時間で外すそうです。5日は長い方だそうです。
「外しますよ~」と言われた時は、とにかくとても嬉しかったです。
しかし!・・・実際に外してみたら・・・こ、呼吸が出来ない!…息が吸えない!・・・
何故?なぜ?ナゼ?・・・だって呼吸器外したじゃん!なのに・・・どうして???
そう、長く挿管されていた為に、気管支が傷ついて腫れてしまい、実質的な気道がとても狭くなっていたのです。
水面で口をパクパクさせる金魚みたいに、口だけはパクパク出来るのですが、思うように息が入ってこない!!!
その様子を見て「もう一回、人工呼吸器装着する?」と聞かれましたが、冗談じゃない!!!
ノー!ノー!ノー!と激しく首を横に振り、それは阻止しました。
でも、呼吸が出来ないことには変わりありません。(泣)
そこで、酸素吸入器を口に当てて頂きました。
これで、ゆ~~~っくり、細~~~く息を吸う呼吸法?で、何とか生きていける気がしました。(笑)
最初は口から吸う酸素吸入器、その後鼻に管を入れる形の酸素吸入器になり、
5日後にやっと外して普通に呼吸が出来るようになりました。
久しぶりに完全自力で吸う空気は、新鮮で美味しく感じました。
「シャバの空気は美味しい!」そんなセリフを言ったら、看護師さんが笑っていました。
しかし、ここから「咳と痰」の長い長い壮絶な戦いが始まりました。
とにかく傷ついた気管支の炎症が収まるまで、傷修正で戦った残骸の痰がものすごいんです!
この痰を出すために常にものすごい咳が出ます。こんなに激しい咳をして胸の骨は大丈夫なのか?
この咳でまた血管が裂けて裂けてしまうんじゃないか?・・・と、本気で心配しました。
これは、退院してからもしばらく続きましたね~・・・恐るべし人工呼吸器!
病院食の変遷
人工呼吸器は、食事にも大きく影響しました。やはり、恐るべし人工呼吸器!
まぁ、人工呼吸器のせいだけではないのですが、ずっと点滴で栄養を得ていた身体。
しばらくの間、口から食べものを入れていません。
「さて、今日からお食事開始しますね~」と言われて喜んだのも つかの間。
最初は、鼻に入っていた管から流動食的な水分を少~しずつ流しこんだものでした。
なるほど、鼻から入ったものも喉を通じて胃に入っていきます。久しぶりの「ごっくん」でした。
そこから「嚥下の先生」なる方がいらして、まずはスポイトで水を一滴舌の上において、それを飲み込む喉の動きを見ます。
次に2滴の水を飲み込む喉の動き、3滴の水を飲み込む喉の動き、、、と水の量を少しずつ増やして、飲み込む時の喉の筋力を確認していたようです。
「うん、大丈夫だな」というOKを貰い、「やった~」と思ったのですが・・・
とにかく「普通の水」が一番危ないのだそうです。
なので憧れの「冷たい水をごくごく飲んでやる~」という私の願望はしばらくお預けとなり、「とろみ」をつけた水を飲むこととなりました。
そう、水にコレを溶かして「とろみ水」にするのです。
つまり、私は「嚥下困難者」なワケですね。
病院としては誤嚥性肺炎を阻止するために「嚥下」にもの凄く気を使っていました。
よって喉を通すものは全て「とろみ」をつけるのです。
しばらくは、水分量も規制されていました。最初は1日500ml だったかな。
なので、紙コップに線を引いて飲む量を見ながら調整しました。いや~、とろみ水、超不味かったです!
でも、人工呼吸器の影響で喉が腫れていて、最初は飲み込むたびに喉に激痛が走りました。
丁度扁桃腺がパンパンに腫れているみたいに。。。
食事も、まずはゼリーから始まりました。
ゼリーとろみ食普通の食事 と慎重に変遷して行きました。
ある日の「とろみ食」のメニュー
やっと普通食になった時のメニュー
やっと「とろみ」から解放された「普通の水」のなんと美味しかったこと
でも正直、最初の一口めの時、自分の意志に逆らって、水が肺の方へ行きそうになりむせかけたのです!
危なかった!なるほど、やはり「普通の水」は気をつけなければいけないのだと、実感させられました。
普段は何の気なしに普通に飲んでいる「水」も、ひとつ間違うとむせて誤嚥性肺炎を引き起こすのだなと、
身をもって理解した瞬間でした。
普通に戻った病院食は、副菜の野菜の量も多くて、その辺は私のお気に入りでした。
次回は、リハビリについて書きます。
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