昨年2023年2月8日夜、路上で大動脈解離に倒れ武蔵野赤十字病院へ救急搬送。2月9日深夜0時から緊急大手術。2月10日GICUで麻酔から覚醒。3月退院。その後、5月に胸が腫れる感染性合併症を併発。9月と10月に2回追加手術を受け、現在に至る。一年経過を機に「2023病院日記」と題して備忘録を書きます。
第一期 2月8日入院から3月までの流れ
2/8 緊急搬送にて武蔵野赤十字病院へ運ばれる
2/9 深夜0時~8時緊急大手術 のちGICUへ
2/10 昼間 麻酔より覚醒
2/13 口に挿管されていた人工呼吸器外す 替わりに酸素吸入器装着
2/15 鼻の酸素吸入器に変更となる 鼻から食事注入開始
2/18 酸素吸入器外れる 口からの食事開始
2/21 一般病棟へ移る
3/7 退院
3/29 一か月検診
手術の内容
解離した大動脈のうち、上行と弓部の大動脈部分30cm「ステントグラフト」という人工血管に差し替えました。それに伴い胸のいろいろな血管を手術するために、胸の筋肉もズタズタに切り裂かれたとのこと。無かったところに新しく血管を増設した所もあります。
その手術をする為に、胸骨(胸の真ん中の骨)を縦に切り裂いて、手術中ずっと肋骨を開いた状態だったそうで。
さしずめ、アジの開き ならぬ 「加奈の開き」 ですな。
その為、『鉛のような重さ』の、横長の長方形の『ブリキ缶』が胸の中に入っているような感覚がず~とありました。
また、『えもんかけライン』って自分で呼んでいるのですが、胸から腕にかけてあのハンガーのライン部分が重たくて重たくて・・・
正直今でもまだ違和感はあります。この違和感が完全に払拭されるには、もう少し年月が必要のようです。
GICUに運ばれた(目が覚めた)時は、大小合わせたら100本近い?管の点滴が私の身体と繋がっていて、薬や栄養を私の身体に入れる管と、逆に私の身体の中の物を外に出すドレーンをはじめとする複数の管が出ていました。
口からは、人工呼吸器が声帯の真ん中を貫いて気管支まで管が挿管され、当然声は出ません。
また、苦しくて自分でいろんな管を外してしまわないように、手は基本的にベッドに拘束されています(もちろん必要に応じて外してもらいます。この行為はちゃんと同意書にサインしてあります。)
動けない、しゃべられない、ベッドの上でなすがまま、なされるまま、の寝たきり状態。。。
医療系テレビドラマでよく目にするICUの光景の中に自分がいるって変な感じでした。
GICUにいる自分を客観的に見てみたかったです。無理だけど…(^^;
どの先生もおっしゃる「大手術」
GICUで目が覚めてから、いろんな先生がベッドまで訪問して来て下さいました。
手術をして下さった先生はもちろんのこと、麻酔の先生、私が病院に搬送されて来た時に対応して下さった先生、手術に立ち会った看護師さん、リハビリの先生、耳鼻咽喉科の先生、嚥下の先生、歯科の先生、皆さん一様に「『大』手術」とおっしゃいます。そう、ただの「手術」ではなく「『大』手術」だったからねぇ・・・と。
食事が始まると、栄養士の先生まで「どう?食べられる?」とベッドに訪ねて来て下さいました。
その事を考えても、いかに重病人だったのかが分かります。
計画手術ならいざ知らず、緊急に救急で運ばれて来てこの状態は、やはりかなり重症の部類だったようです。
もちろん世の中にはもっともっとの大手術がありますが、大動脈解離としてはかなりの大手術であったと推測されます。
そんな私がGICUでどんな状態で過ごしたのか。次回以降に書きます。
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