どう向き合い、どう伝えるか。21歳の私が考える3.11~東日本大震災~ | COLORweb学生編集部

どう向き合い、どう伝えるか。21歳の私が考える3.11~東日本大震災~


2022年3月11日、東日本大震災の発生から11年が経ちました。
この11年でまちも世の中も、さまざまなことが変わりました。それでも、何年たっても震災当時を鮮明に思い出すことができる、そんな方が多いのではないでしょうか。

私は宮城県で震災を経験しました。ですが、私は被災者の立場とは少し違います。
私は、被災者でも、非被災者でもない、その中間にいると考えています。

今回の記事では、少し長いですが、私の考える震災との向き合い方について書きました。
震災を経験したけれど、自分を被災者と呼んでいいのかわからない。そんな方にぜひ読んでいただきたいです。

当時の記憶
小学4年生だった私は、授業が早く終わり、家にいる最中に地震を経験しました。大きな揺れが来たとき、咄嗟にテーブルの下に隠れたものの、驚きのあまり倒れそうな家具をただ呆然と見ていた記憶があります。揺れている間は、恐怖よりも驚きが大きかったです。
その後電気や水が止まり、不便な暮らしを強いられたものの、きっと元の生活に戻るはず!と、それなりに前向きな考え方ができていました。きっとそう考えられたのは、家族と一緒にいたからだと思います。

そんな私が震災に大きな恐怖を覚えた出来事があります。
それは、震災から約7日後、初めてテレビのニュースで被害の状況を知った時です。押し寄せる津波の映像に衝撃を受け、揺れを感じたとき以上の強い恐怖に襲われました。私は宮城県のどちらかというと山間部に住んでいたため、沿岸部で大変な事態になっていることを知らなかったのです。同じ宮城に住んでいる人が、大変な目に遭っている。でも自分は安全に過ごしている…と、自分の生活と被災地のギャップを強く感じました。

少しずつ戻る日常
それから徐々に日常の生活が戻り始め、半年も過ぎるとこれまでと変わらない日々がやってきました。朝起きたら学校に行き、帰ってきたら家族とご飯を食べる。
でも、誰もがそんな変わらない日々を過ごせる訳ではないことは、小学生の私にも分かっていました。不安を抱えながら仮設住宅で暮らす人、大切な家族や家を失った人。その存在を意識したときに、自分はいわゆる「被災地」にいるのに、被災者じゃない、そのことでなんとなく罪悪感がありました。

小学校を卒業し、中学、高校…と過ごしていくと、私の生活の中で震災の影響はだんだんとなくなっていきます。それでも、震災の記憶が消えたわけではないので、当時のことを時々思い返すこともありました。ただ、当時感じていた罪悪感が無くなることはなく、震災のことを考えるたびに心の片隅にじんわりとした葛藤がありました。

そんな私が震災との向き合い方に一つの答えを出せたのは、大学での講義がきっかけでした。

被災地にいる、でも被災者じゃない私
私は大学で心理学を専攻しており、とある講義で震災に触れることになります。
それは、感情心理学を研究している先生による特殊講義でした。講義では、人の感情を扱うだけでなく、その先生が関心を持っていた震災についても学びました。

・惨事ストレスにおける「3次被害者」
その講義では、災害時のストレスについて学ぶ機会がありました。
非常事態に直面したときのストレス反応を惨事ストレスといい、惨事ストレスによって身体や精神に影響を及ぼすことがあるとのこと。その惨事ストレスを受けるのは、被災した人だけではなく、その家族、救援に当たる人なども対象です。
そして惨事ストレスの中でその被害者には分類があり、報道でショックを受けた地域住民などは、3次被害者という分類にあたると学びました。
これを知り、私は3次被害者に当たると知りました。震災の被災者ではないけれど、何も影響を受けていないわけではない。自分の立場を見つめなおしたとき、被災者と非被災者、その中間にいると初めて感じられたのは新しい発見でした。

・ブログに綴られた「中間被災者」の想い
その後講義の中で、ある記事が紹介されました。
それは、震災を経験した大学生が、自分のことを「中間被災者」と表現しブログに想いを綴った、という記事です。
ブログを書いた方は、宮城で震災を経験したけれど、自分より苦しい経験をした人と比較し葛藤があったと述べています。被災者ではないけれど、第三者ではないし無関心ではいられない、そんな自分を「中間被災者」と表現しています。
これを読んだとき、自分の状況に近いものを感じました。被災地出身、でも被災者じゃない、中間にいる立場だからこそ伝えられることがあると気づいたのです。そして何より、記事で綴られた「苦しみの大小を比較して自分を責める必要はない」という言葉に救われました。

ぜひ読んでみてください↓


自分の言葉で伝えること
私は講義を通して、改めて震災について考えることができました。
そして私は震災とどう向き合うべきか、出した一つの答えは「被災者とそうでない人の中間にいる自分を認めること」「自分だからこそ感じることを、自分の言葉で伝えていくこと」。

私はまだ、震災について語っていいのか自信がありません。
それでも、「自分は被災者ではない」という気持ちで経験に蓋をしてしまっては、震災の記憶が曖昧になってしまい、風化の原因になってしまうと思うのです。
どんな立場だとしても多くの人が語り継ぐことで、震災に対して多くの視点から見ることができ、風化を防げるのではないでしょうか。

震災によって失ったものの大きさは人それぞれです。私の想像がつかないくらいの悲しみを背負って生きている人もいると思います。経験と感じたことも人それぞれで、復興への思いの強さ、地震への恐怖、すべてが違うと思います。
それでも、苦しみの大きさを他人と比べずに、自分の感じた気持ちを大切に、自分の言葉で伝えていく。それが今できることなのではないかと思います。


Write:あもちゃん