先日、和歌山にいる祖父が亡くなりました。
それについては母が日本から連絡をくれて分かりました。
海外に住んでいて、尚且つ自分の代わりがきかない仕事をしているので、すぐに飛んでいくということが出来ず、お通夜にもお葬式にも出席出来ませんでした。
祖父とその孫という関係性は、非常に近いものではありましたが、
実は祖父とはあまり会話を交わしたことも、小さい頃遊んで貰った記憶もないほど
ちょっと離れた存在でした。
祖父は、大正生まれの超がつくほどのわがまま、きまま、勝手の三拍子が揃う人だった(苦笑)と祖母がよく私に話ていました。
それもそのはず、陸軍士官学校を首席で卒業した人で。
喧嘩一番、勉強一番だったことから、自分の右に出るものはいない!と言わんばかりのもの凄い自信と、わんまん力で、人生を貫いてきました。
そのこともあって、私には祖父は恐い人。厳しい人という印象しかなく、母の実家に訪れても、祖父には見つからないようにお家に入っていたほどでした。
そんな祖父でしたが、非常に頭がきれて、仕事バリバリの人だったので、一代で会社を築き上げ、町興しにも精を出し、
地元では人望が厚く、評判でした。
そのお陰で、私自身もその町の人達には本当によく可愛がって貰いました。
祖父は仕事を引退後、大好きな彫刻と読書にふけっていました。
また、自分の持ってる山が自宅から見えるようにと庭を更に改装して、毎日山とお庭を眺めながら趣味に没頭する。
そんな毎日を過ごしていました。
人一倍こだわりが強く、こうと決めたら絶対にやり通す。
そんな性格は、身内にはかなりの被害が及び、大変な迷惑者だったようですが、人目にはいつもよく映っていたようでした。
そんな祖父をもった私は、最初にも書いたように、あまり接点を感じることなく、今日まできてしまいましたが、振り返れば祖父が残してくれたものは、数知れなかったかもしれないと思うと、少し寂しくもあります。
祖父の死に立ち会えなかったのですが、私はタイにあるお寺にて二日間にわたり祖父の供養をして貰いました。
家族、親戚の死はやはり色々と考えさせられる節目となります。
自分がこの世に生かされていることを改めて確認するタイミングでもあるし、生きている内に何が残せるか。
人の為に何が出来るか等、色々考えを巡らせる機会でもあります。
91で亡くなった祖父を見送った母は、自分の父親がまさか死ぬ日がくるとは想像もしてなかったと電話で言ってました。
実際、私自身も自分の父親が亡くなったことは今でも信じられないし、母がいつかこの世から居なくなることなんて想像できませんし、したくもありません。
でも、いずれそんな日が必ずくることは覚悟していないといけないし、海外に住んでいる以上、すぐさま飛んでいけないことがある事は覚悟しておかないといけないなと思います。
そして、今生きてくれてる間に出来る親孝行を少しでもしていきたいと更に思うのです。
もう今更ではありますが、大好きな母を生んで、育ててくれたお爺ちゃんに感謝します。
また人の死を返して、自分が生きる意味や、良い生き方とは何かを振り返る機会となりました。
本日、日本は節分ですが、恵方巻き作って私も南南東を向いて丸かぶりしようかな!
2013年もまだ始まったばかり。
昨年とはまた違う面持ちで、頑張りたいと思います。
iPhoneからの投稿