Color日和・竹原朋美です

 

本から受け取ったインスピレーションで

800字で書き綴る「リブリオエッセイ」。

 

エッセイ塾ふみサロの4月の課題図書は

「世界をアップデートする方法」 篠原 信 著

 

 

「哲学の本」をわかりやすくという著者の思いが伝わる一冊。

 

 

珍しく本を読む前に目次を見て、書き上げたエッセイになります。

 

ある意味、哲学とか理解できているか微妙だけど

小難しい本が大好物だったので登場人物の話、ほぼ知っていた。

 

あとがきに「びじゅチューン」のことが書いてあり、

「姫路城バージョン」は姫路に住んでいる時にTVで見ていて

「けなげな姫路城ちゃん、可愛い~♪」となってたので

勝手に親近感を持ったんですけれど(笑)

 

ま、それは置いておいて、

 

親に与えられた「名前」が自分の中で「アップデート」された話を

この中に出てくる人物の一人「孔子」寄せで書いてみました。

3度の転校の上、新設校のあおりでのクラス替え。

結果、担任が「7人」になった…という小学生時代の頃のお話です。

 

 

「名は体を表す」

 

私の名前は半世紀前、あまり馴染みがなかった。

当時「とも」は「友」や「智」という字の名が多く「朋」という月ふたつの文字は、

日と月の組み合わせ「明」とよく間違えられ一発で呼ばれたことはなかった。

何かで入賞した時も墨で黒々と「明美」と書かれた賞状を受け取ったこともある。

なぜ親は間違いやすい名前をつけたんだろう…と子供心に思ったものだ。

 

 「明」なら、やはり明るい子になるのだろうなぁ~。

でも私はそう、お日様のような明るさを求められたわけではない。

月のように地味にひっそりと、がふさわしいはず。

むしろ目立たないように生きたいと子供の頃は願った。

 

 その一因は父が小学校の先生だったことだ。

狭い社会である学校で「先生の娘」は特別わかりやすいレッテルが貼られるようではある。

親子が同じ学校の場合、本来は同じ学年にならないように配慮されるはずが、

転校時、何かの手違いで父が隣のクラスの担任になり、音楽や体育を一緒に学ぶハメに…。

「なんで?!」

 

 私は転校生というだけでも注目されるのに、父は教師達からも一目おかれる学年主任。

「怖い先生の娘」は学校内で無駄に目立ってしまっていた。

隠れられるものなら隠れたいが、同じ苗字というだけですぐわかる。

当たり前に優等生にならざるを得なかったが、その父が付けた名が「朋美」だった。

 

 あまりにも早く決められた名前に、母は「初恋の人の名前なんじゃないの?」と

勘繰ったらしい。ともあれ、この名前は孔子の論語による

「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」からの引用だそうだ。

 同じ志を持った友人が遠方から集い、楽しい時間を過ごせるように…と。

 

 引越しも数多く、友達の縁も薄くなりがちだった。

が、いろいろ学ぶことが好きな私は、新たな学びによって新しい友達もできた。

ありがたいことに数々の学びの中、同志のような切磋琢磨できる友人達に恵まれるのは、

この名前のお陰なのかもしれない。

 

 

エッセイはここまで。

 

 

転校するたび質問の嵐と好奇の目が注がれ、めんどくさいことこの上ない。

 

 学校の先生の子供は親に勉強を教えてもらえるのだから「頭がいいはずだ」

…ということが小学生の子供の頭の中には当たり前(?)に存在するらしい。

仕事を家に持ち込み、休日は生徒を家に招く父に勉強を教えてもらった記憶はないけれど。

 

 今になって思うが、すくなからず教師たちも同僚の娘はさぞ気を使う、

扱いづらい生徒だったことであろう…。

しかも当時は読み間違えるような珍しい名前だったなんて(笑)

(ある意味、名前なんてどう呼ばれてもいいと冷めた子供だったかもしれない…)

 

大人になった今は、ネットで遠くからもつながれるお友達もいてハッピーです。ハイ。

 

 

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次回は5月2日の予定