高円寺の古本市。何年ぶりだろう。

 

高校の頃、赤い山の絵を待ち受けにしていた。

それはどこで見つけたのか、誰が書いたのか、

覚えていなかったから調べることもできなくて。

でもその絵が好きで3年近く携帯の中で見つめていた。

大人になって、高円寺に住んだ。

近所で古本市に通りかかり、中に入った。

ふと目に入った画集を開けると、その絵があった。

東山魁夷「秋翳」

これだった。ずっと探していたものは。

それから、高円寺に住んでいる間はよくこの古本市に通った。

でも世田谷区に引っ越してからは、足も遠のきそんなことすら忘れていた。

先週、友人から飲みの誘いがあった。しかし気が乗らない。

「あんまり話すこともないし、なにかイベントでも一緒に行けたらいいのに」と手当たり次第に検索していると、

古本市が開催していることを知る。これだ、と思った。

 

この日買ったのは

「蠍たち」倉橋由美子

「なぜ美人ばかりが得をするのか」ナンシー・エトコフ

「老いへの不安」春日武彦

「フィルムメーカーズ北野武」

と誰のものかもわからないスケッチブックを数冊。

スケッチブックには名前はない。

なかには世界各地のキッチンをはじめとする住居の写真が貼られている。

雑誌の切り抜きのようだった。

いつか、このスケッチブックは、またあの自分に出会わせてくれるかもしれない。と思った。

 

で、今は脚本の作業が止まり、

この本を手に取ったところ。

「なぜ美人ばかりが得をするのか」ナンシー・エトコフ

いつしか美しくなりたいという想いだけが先行し、

髪を切り、服を買い、ジュエリーを身につけ、爪に色を塗る。

「もう大丈夫。君はこれ以上美しくはなれない。から、ここで終了だよ」

って言ってもらえないから、これは一生続くんだなと思う。

一生、イデアを追い求め、不安なまま生きていく。

ここにはなにかあるのかも、いやあってほしい。願いながら、読み進めていく。

この戦いの終戦を心から、祈る。

 

・つまり喜びを感じられるものはすべて美しい。そかそこれでは、美そのものに意味はないというのも同然だ。

・資本主義も父権社会も美を文化的消耗品とし、そのイメージを氾濫させる。その欲望が金儲けと現状維持という目標を達成させる。

しかし、それでは何かしっくりこない。概念の外の世界では美は確実に支配を行っている。女性の悩みは美を追求できないことではなく、美しさ以外の長所を伸ばせないことではないだろうか。

・フアッションは「目に楽しく、誘惑的で食欲をそそる、極上のケーキのトッピング」/シャルル・ボードレール

・こうした大胆な手段を取るのは、歪みを矯正するのではなく、部分をより美しくするためだ。

・「あなたの心が正しいと思うことをしなさい。 どっちにしたって批判されるのだから。」といったエレノア・ルーズベルトは、「何か人生に悔いはありますか」ときかれ「もっと美人だったらよかった」と答えた。

・これほど美しい顔にも「完璧」からわずかなずれを見出すのは、人間が自分の中に美に対する規範を持っている厳粛たる証拠に思われた。

・生物学者によれば、美への願望の根底には、訪問者をできるだけ誘い込む環境を作るように受け継がれた遺伝子の作用があるのだという。

 

 

続きはまた明日

 

 

 

 

今後読みたい本

「トリルビー」ジョージ・デュ・モーリア