友人に「わたしは読みかけだけど、みくに読んでほしい」と言って
借りた本が銭湯の女神/星野博美。感想なんてものじゃなく、
文字を読んで、あ、駅着いた、本を閉じて、歩く、その間に考えていたこと。のメモ。
借りたままで忘れていたが、ドレスコーズのライブまで時間があったので読んでみることにする。
わたしはこのひとの考え方というか、世間への視線は好きではない。でも、これほどまでに強い断定の言葉で言ってしまわなければ、人に思いが伝わらない時代になったのかもとも思う。
「感じ取ってね」なんて
「キスしていいんだよ」なんて
いわなくても、いや、私はいいたくなくて。言葉が追いかけてくる。のが怖い。
1、私がテーブルを買う時
筆者のものを持たない性格が、旅好きな習慣からきているという話。
私も同じような考えを持っていた時期があった。どこにいても自分の居場所でないような
一生こうやって世界中を彷徨い歩くのがわたしなのだと妙に落ち着いていた。
大学の頃から男の家を渡り歩き、きっかけさえなければ何日でも何ヶ月でも居座ってた。
卒業後も男女関係なく人が入れ替わるルームシェアハウスのようなものをつくり、
その家では計7人ほどのひとと同居生活をしていた。プライベートなんてなく、いつも何かが動いていて
でもそれが楽だった。仲のいい友人でもない人と、同じアパートの一室で、生活を共有してた。
今年の2月から小田急線で初めての一人暮らしを始めた。
渡り歩くのに疲れたのか、私だけの空間が欲しかったのか。
住んでみると、この空間を埋めなければという強迫観念のようなものに襲われはじめる。
空白を怖がり、家具や本を買い漁る。買う、でも満たされない、また買う。。。。
筆者は「日常が旅に侵食されている、という一つの理由だけで、…自然な欲求からテーブルを買いたいと思えない」
といっていたが、モノに犯された私の部屋は、増やすことしか許されていないようだ。
2、パンクは態度である
パンクファッションに包まれた青年が、サムソナイトのスーツケースを引いて歩いているのをみた筆者は憤慨する。
巷にありふれるインスタのようなインスタント映画。
名作と呼ばれる本・漫画をわかりやすく、短く解説する動画。
心から唾を吐きたい。うまれてからずーっとのどにためこんでいた痰を。
パンクが1970年代の労働者階級から生まれた怒りの音楽であったことを知らず、学ぼうとせず、
全てをファッションだ、個性だ、わたしらしさだ、と言いくるめようとする輩。恥を知れ。
好きだ、ということは自由だ。いいと思う。でも敬意を払うべきだと思う。
すべて受け身でしかなく、背景を見ようともしないのは、馬鹿にしているのと一緒だ。
と同時に思い出す。
恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスイルミネーションに押し寄せる女子高生に紛れ
ひとり歩いていた、オフィスレディの代名詞の真っ白のロングコートの裾から少し見えた厚底のブーツを。
あの40代くらいの女が隠し持ったあのパンクを。
何人が、あのブーツに気づいただろう。わたしはあのパンクを忘れない。
3、100円の重み
「すぐ壊れてもいいから安いものが欲しいっていうのはアジア的な考えなのかな」
とベルリンの友。
4、大女
「なぜあなたは誰からみても女性に見えるのか。それは努力の賜物なのではないか。」
「そうみられるためにどれだけの努力が必要なのか考えると、私は人生の根本からやり直さなければならないような気がする」
わたしはどっからどうみても女だ。
髪もメイクも服も下着も気を遣い、月に1回の美容院とネイルサロンをかかさない。
メイク用品は無理してデパコスを使い、料理も掃除も洗濯もこなす。
でもわたしはこれを努力だなんて思った事がない。
筆者は面倒だというが、わたしは面倒で効率が悪いのが女らしさだと思っている。
誰もが効率よく生きる事だけやりたいなら坊主で裸でいい。
あなたが面倒で効率いいのが好きならそうすればいい。
わたしは面倒で効率の悪い、わたしが好きなんだ。その効率の悪さ→女性らしさにつながるだけ。
朝起きて、メイクは面倒だと感じる時もある。でもメイクって絵の具塗っているみたいで楽しい。
1時間やっていていいなら、ずっとやっていられる。
胸もも大きく邪魔で、下っ腹も出ていて、似合う服は限られる(気がする)でも自分に合った服を見つけるのは楽しい
トマトはトマト、じゃがいもはじゃがいも、なすはなす、一生変わらない。
それをどう料理しようかと考えているのが楽しい。たまにはまずいのができる時もある、でもいい。
まずくてもいい。家庭料理なんてまずくてもいい。みそは濃くても薄くても美味しい(土井善晴。。。笑)
社会にいて、この、「努力」っていわれると少しムッとくる。
こういうことを言うと、時代錯誤だとか、お前は自分の顔を気に入ってるからいいだろ、とかいわれるけど
そういうこと?って思う。わたしはトマト。だからトマトで生きるしかない。なすにはなれないから。
でもなすはトマトになれないんだから、って。
まだ途中。続きは明日読むことにする。
追記。
ドレスコーズのライブでは、NANAのナナになりたくて赤いワンピースを着て行った。
でも興奮が抑えられず、ノリノリではしゃいで全然ナナじゃなかった。
いいクリスマスを、いい年を、
ドレスコーズの皆様もどうか、愛に気をつけて。
世界の平和を祈って。