テーブルの上のお皿に髪の毛が付きそうだった。
「髪、伸びたね」
彼女は少しテーブルから離れてこちらを見上げた。そして僕は随分と彼女に会ってないことに気付いた。
空白の期間に何があったんだろう。過去なんて関係ない、とは言うものの、少しは気になる。あの日の続きが今始まったのに、この違和感は何だろう。他人のような気がしてならない。何故だかわからないが、ちょっと大人びた感じが彼女からした。
「うん、なかなか会えなかったもんね。そっちはどうだった?ちゃんと自粛してたの?」
お姉さんに怒られてる気分になった。彼女は僕よりも8つも歳下である。僕は昭和、彼女は平成に生まれた。年の差があると話が合わないんじゃない?と人からはよく言われるけど、僕は気になったことなんて1度もなかった。もちろん、給食だったり、観てたドラマも聴いてた音楽も違う。オリンピックの話題だって、21世紀になった瞬間の記憶だって、何より携帯電話やCDやゲームはジェネレーションギャップを感じざるを得ないけれど、それはそれでお互いを深く知っていくことで埋められていく気がした。
「このあと、どうなると思う?ニュースが言ってるみたいに、失業者が増えて、家族も崩壊して、テレワークがますます増えると思う?」
正直僕は驚いてる。以前の彼女ならこんなのとは言わなかった。時期が時期だからと言うことではなく、彼女からニュースだの、世間だの、そんな話題は今まで出たことがなかったからだ。いつもディズニーの話や美味しいもの食べたいとか、そんな話ばかりで、東北の震災のときでさえ全く変わらずにいたのに。 気のせいか? 少し会わなかったうちに、もしかしたらそんな話をしてたことを自分が忘れてしまっただけなのかも知れない。確かに僕は彼女のことが好き過ぎて話もろくに聞いていなかったことは認めるが実際彼女も大人になったということなのだろうか。
「ねぇ、話きいてる?」
急に大人びた彼女の口調に驚き、顔をあげる。
「ああ…」うだつの上がらない声で「まぁ、そうなるんじゃない?」と適当に答えた。彼女の顔つきが恐い。 それは「ちゃんと将来のこと、考えなさいよ」といったふうではなく、未来に何かが起こることを知っているような顔に見えた。
「ごめん、ちょっと酔ってるみたい」
久々に彼女に会えて嬉しいはずなのに、ドキドキが止まらない。恋心ではなく、焦り。酔えるはずもない。彼女の一挙手一投足が恐い。 「そっちはどうなると思ってんの?」 質問には質問で返すのがベターである。あなたの意見が聞きたい、と言えば相手も勝手に話し出すからだ。
「2049年のシンギュラリティを待たずに世界は…」
なんだ?何を言ってるんだ?ん?彼女の姿がぶれて見えてきた。あれ?酔ってるのか?いやそんなはずはない。 消失
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気がつくと部屋にいた。いつもの自分の部屋の天井がそこにはあった。昔天井に貼ったポスターのせいで、ちょっと穴の空いた天井。それを見るたびにあの日を思い出す。 あの頃は毎日電話をしていた。電話の最後には必ず「好きだよ」と言って終わるのが常で、いつまでも「今」を生きてい
ればいいと思ってたし、未来なんて考えてなかった。いや、彼女と過ごす未来しか見えてなかった。 昨夜の記憶は曖昧だが、きっと酔っ払って覚えてないだけだと思う。 あの違和感はきっと勘違いだ。久々に会ったからそんな気がしただけだ。
LINE未読5件
彼女からのLINEが5件も来ていた。 「明日は何時に会う?」 今日も会う約束をしてたっけ??今何時だ??全身に緊張が走る。そして違和感の正体に気付いた。2019年11月17日を表示するスマホの画面。 たしか、5/31までは緊急事態宣言が延長されてて、そんな中でもたまには会おうと言って会ったのが昨日(ここでは5/10を指す)で…。 11/17は新型コロナウイルスが報告された日である。この日から何かが、いや、本当はもう少し前から何かが狂っていったのだろう。
はっ、と気付く。 天井が視界にうつる。携帯電話には5月11日とある。どうやら夢だったらしい。しかし携帯電話見るとそこには
LINE未読5件
の文字があった。
「明日は何時に会う?」見覚えのある文字のような気がした。 時計は12時を示している。
「ごめん、今起きた。夕方からでもいいかな?うち来る?」
既読。
彼女からの返信
「え…。」
何だろう、この感覚。こんな反応は今までで始めてだ。ただ、頭が働かないので再び
「うちならいつ来てもいいけどどうする?」
送信ボタンを押す前に気付く。
相手の送信日が11月17日だ。
強い倦怠感。匂いも味もしないような日々。僕はコロナに、かかろうとかかるまいと変わらない日々を過してる。あの日から約半年、僕は彼女に連絡を取っていなかったらしい。スマホがそれを証明しているというのも、なんだか管理されてるみたいで嫌な話だが、実際ほとんどの人間が携帯電話に支配されているようなものだ。ついったらんどの住人と毎日毎日会話して、現実から自然と目を背けてしまっているのも事実。リアル、そう、生の良さを知っているはずなのに気付けば自分の居心地の良い場所にいる。
深呼吸。彼女への返信の正解がわからない。半年ぶりのLINEが「うちならいつ来てもいいけどどうする?」というのはさすがにナンセンスだった。もちろん自分ではそんなつもりはなかったので 「ごめん」とだけ打ってすぐに送信した。
LINEに気付かなかったから返信しなかったから半年会わなかった…なんて、そんなわけがない。やはり、おかしい。あの日から何かがおかしいのだ。世界は渾沌としたニュースで埋めつくされているのは自分たちをもおかしくしてしまったのだと思った。
僕は彼女に再度メッセージを送った。
「なんだかよくわかったないけど、本当にごめん。とにかく一回会わない?」
記憶喪失の友人に「今までのことを知りたいから、どうしても会いたいんだ」と僕は言われたことがある。その友人は事故でそうなってしまったのだが、僕の場合は脳自体を侵されてしまったかのようだった。
意識ははっきりしている。普段から家にいるので、外に出る事自体は億劫だが、それが通常運転だ。彼女に会って何かがわかる確証は全くないけれど、とにかく彼女に会わなくてはいけない気がした。
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「自粛期間だよ」
返事が来た。返事が来たこと自体、奇跡だと思った。安心したはいいものの、本題はそこではない。そうだ。テレワークで今はやりのリモート会話をすればいいのか。
軽率に「映像」のボタンを押して電話を掛けた。