今日私の大切な友人から

 

ある歌の歌詞を受け取りました

「かおりさんはね 絶対に泣くよ!

 

私の周りの人はね

 

誰も泣かないの

 

でもね

 

かおりさんは絶対に泣くと思う」

 

と暗示にかけられて(笑)

 

やっぱり

 

泣きました

これは

 

シンガーソングライターの

 

樋口了一さんの友人 角智織さんの元に偶然届いた

 

チェーンメールに記載されていた

 

作者不詳のポルトガル語の歌詞に

 

感銘を受けた角さんが詩を翻訳

 

樋口さんも感銘を受け

 

曲の制作・発売に至ったそうです

これは

 

最後に寝たきりになり

 

話すこともできなくなった父の介護中

 

私が毎日感じ続けていたことでした

もしも今

 

年老いて

 

昔の両親とは変わってしまった

 

と苦しかったり

 

悲しかったり

 

している方がいるとしたら

 

ぜひ

 

聴いてほしい曲です

歌詞をご紹介しますね

 

手紙 ~親愛なる子供たちへ~

 

【作詞】不詳
【訳詞】角 智織
【日本語補詞】樋口 了一
【作曲】樋口 了一

 

年老いた私が ある日 

 

今までの私と 違っていたとしても


どうかそのままの 私のことを 

 

理解して欲しい


私が服の上に 食べ物をこぼしても

 

靴ひもを結び忘れても
 

あなたに色んなことを 教えたように 

 

見守って欲しい

あなたと話す時 

 

同じ話を何度も何度も 繰り返しても


その結末を どうかさえぎらずに

 

 うなずいて欲しい


あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本の

 

 あたたかな結末は


いつも同じでも 私の心を 

 

平和にしてくれた

悲しいことではないんだ

 

 消えて去って行くように 見える私の心へと
 

励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に

 

 私が思わず下着を濡らしてしまったり
 

お風呂に入るのを いやがることきには

 

 思い出して欲しい


あなたを追い回し 何度も着替えさせたり

 

 様々な理由をつけていやがるあなたと

 

お風呂に入った懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 

 

旅立ちの前の準備をしている私に
 

祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ

 

 出来なくなるかも知れない
 

足も衰えて 立ち上がる事すら

 

 出来なくなったなら


あなたが か弱い足で 立ち上がろうと

 私に助けを求めたように


よろめく私に どうかあなたの

 

 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり

 

 自分が無力だと 思わないで欲しい


あなたを抱きしめる力がないのを知るのは

 

 つらい事だけど


私を理解して支えてくれる心だけを

 

 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで

 

 私には勇気が わいてくるのです

あなたの人生の始まりに 

 

私がしっかりと 付き添ったように

私の人生の終わりに 

 

少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで

 

 私が受けた多くの喜びと


あなたに対する変らぬ愛を持って

 

笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

 

いま

 

私の母は

 

足の力が衰えて

 

歩くのに

 

私が手を繋いであげることが必要です

 

私が手を差し出した時に

 

母がつかまるその手の温もりに

 

とても幸せを感じています

 

こうしてあと何年

 

私と手を繋いで歩いてくれるのだろう

 

と思い

 

貴重な時間を噛み締めています

 

この気持ちは

 

母もまた

 

まだ幼かった私の手を引いて

 

歩いてた時に同じ想いだったと思うのです

本当に シンプルなことなのです

 

家族は歳を重ねながら

 

役割を交替してゆく

 

親だから

 

いつも子供よりも強くしっかりしていないと

 

いけないのでしょうか?

 

すでに

 

私たちは

 

いい大人になっているのです

 

親にしっかりしてほしい

 

なんて

 

偉そうに感じるほど

 

大人になっているのです

ですから

 

今度は親が子供になってゆく番なのです

 

でも

 

尊敬は変わりません

 

食べこぼしたら片付けてくれて

 

下着を汚せば洗濯してくれて

 

そうして育ててくれたことは

 

なんら

 

変わらないからです

 

親が子を育てるのは当たり前なのに

 

親が子にしてもらうのは

 

なぜ

 

情けないとか 辛いとか

 

感じさせてしまうのでしょうか

 

親だとか子だとか

 

外側の役割に同一化して

 

一人の人としてではなく

 

 

という生き物であるという錯覚をしてしまうのですよね

 

それも無理ないです

 

だって

 

親だ

 

と習ってきたのですから

 

でも

 

役割は変わってゆくという

 

それだけ

 

とてもシンプルなことなのですけれどね

 

親は最後に 子供となって

 

私たちに

 

最後の心の仕上げをしてくれます

 

人として心が成長する

 

最大のチャンスなのですよね

 

人は

 

歳をとった

 

それだけですごいことなのです

 

そんなことを

 

いつも感じています

 

Love笑3Satya