間もなく、18年近くいた横浜駅西口を離れ

桜木町の新たなスペースへと移転しますが。。

振り返ると18年という月日は長いようで

あっという間だったような気もします。

 

同時にそれなりに

この横浜西口周辺でのお付き合いも長くなり、

いい関係性も出来上がっている部分もあり・・

寂しい気持ちや、行った事のない桜木町への

不安もない訳ではないですね。

 

私のこれまでの道のりというのは、

あまりブログ等でわざわざ書いた事はなかったような。

 

これから、自分で仕事をしてゆきたい方々や

修了生の方がいざ独立した際には

「よくこんな場所で長年会社をしてきましたね」

と言われる事があり。。

そんな時も、

「ほんとうだよね〜」

と答える程度だったかも。

 

私のこれまでの道のりが

独立してゆきたい方の、今後の参考にはなるかどうかは

わかりませんが気になる方は読んで下さいね。

 

昔、私と同時期から、同様にカラーリストを

仕事にして来たという方と知り合ったときに、

彼女が会社に遊びに来たことがありました。

 

その時に

「本当にひとりでやってたんだ??」

と聞かれて、最初は意味が分からなかったのですが。

 

「みんな、こういった場所を構えている人は

自分でやっているようにみせて、スポンサーが

いるのよ」

 

と言われた事がありました。

 

仕事ばかりで、世間知らずだった私は

「スポンサーってなに??」

と聞きたい気持ちを抑えて、少しわかってるふりを

したように思います(笑)

 

先日も、10年以上お付き合いさせて頂いている

お仕事先の方になにげない会話の中で

 

「そういえば、柏村さんがうちで仕事する様になったのは、

Aさん(その会社の重役のかた)のツテなんでしょう?」

と聞かれて

「いえ、違いますよ」

とお答えすると

「え?じゃあ誰のツテ?」

と更に聞かれて、

「ツテ・・というのは・・特になくて。。」

とお答えすると・・

「え??もしかして飛び込み???」

「はい・・そんな感じです・・・

とお答えして

「えええ〜〜〜?本当に???」

と仰け反られてしまった時に。。

 

ツテもなしに、大きな企業様とお仕事をさせて

頂いているという事は

奇跡に近く、本当に一層、心して感謝して

お仕事をさせて頂かないといけないと心に誓いました。

 

その時に、改めて「自分のこれまでの事を話す」

という機会もなかったし

そういうアイデアも特に自分になかった事に気がつきました。

 

でもこの仕事をはじめて長年過ごした横浜の西口から

移転をすることとなったときに

最近、やたらとこれまでの経緯を思い返すことが多いので。。

少しこちらにかいてみようかなと思いました。

 

ながい道のりなので、何回かに分けて書くかも

しれませんし。。

こういうことは気まぐれなので、、

途中で終わっちゃうかも。。(笑)

興味のある方だけ読んで下さいね・・照れ

 

私は短大を卒業後、ゼネコンでOLをしていた21歳の時に

色の世界を知り、当時まだ「パーソナルカラー」などという

言葉もなかった時代でしたが

「似合う色」というものがある事を知り、

化粧品会社で教育を受けてカラーリストになりました。

OL時代から自分で何か仕事をしてゆきたいという

意識がとても強かったですし

このワクワクする色の仕事をしてゆきたい!

と強く思ってOLを2年で辞めました。

 

今はみなさんに「嘘だ〜びっくり」と言われるけど、

OL時代は経理だったんですよ〜〜照れ

 

億とか兆の金額を私に計算させていた企業ってすごい。。

でも会社を立ち上げてみて、この経験は役に立ちました。。

 

ところで、色の仕事ですが。。

 

当時は、パーソナルカラーで身を立てるという事は

難しく、カラー診断をして似合う色を知って頂き、

「メイクカラーを変える事で、どれだけ美しくなれるか」

を実感し、美を意識した方々に、お化粧品を

買って頂くという仕事をしていました。

今でこそ沢山のオーガニック化粧品がありますが

当時は肌に優しいものは少なく、アレルギー体質だった

私に唯一合った、その化粧品を、魅力的に伝える事は

私にはさほど難しい事ではなく・・

 

22歳当時、3ヶ月で600万以上の売上げを

上げた事もあり、表彰して頂いたりもしました。

 

ただそうなると、周囲の期待も次第に大きくなり。。

「次はこの位を目指してみなさい!!

等といわれるようになるのです。

 

その時に私は自分でも初めて気がついたのですが・・

 

私の中では、それは「化粧品」という「物」を売った

という感覚はなく、

とっても美しくなれる素晴らしい方法を手に入れるという

感覚に過ぎなかったのです。

 

何故なら、

「もっと売ってみなさい。あなたなら出来る。」

 

と言われた途端に、化粧品が売れなくなったのです。。

「化粧品(物)を売るのだ」とおもった途端、

魔法が溶けた様に、販売売上げ数はどんどん落ちて

ゆきました。

 

悩み、もがけばもがく程、沈んでゆきました。

あんなに好きな化粧品とカラー診断なのに。。

どうして急に、こんなに上手く行かなくなって

しまったのだろうと・・悩み続けました。

 

そして驚いた事に、恒例の化粧品会社の

キャンペーンがスタートし、大量の化粧品を見た途端。。

全身に蕁麻疹が出てしまったのです。

 

でもそういう自分に負けたくなくて。。

出来る限りの営業活動をしました。

 

仕事で外回りをして、20時を過ぎても一件の

成果も上げられず、停めていた車に戻ろうとした時に

チラホラと雪が降り出して。。

すごく寒くて、車に乗り込んだ途端に凍えた手を

こすりながら、急に哀しくなって一人で泣き出した

事もありました。

 

その後、色々と自分を見つめ直し

「私は物を売りたかった訳ではなく、

女性がきれいになる事が純粋に好きだったんだ。

これまで大好きだったカラー診断のほうで

仕事にしてゆく事は出来ないか」

と強く思うようになりました。

 

自宅の一室を仕事場とし、最初は友人達に

カラー診断やメイクアップを行ない、

そこからは、有り難い事に、友人達からの口コミで

次々お客さまをご紹介頂き、少しずつ仕事らしく

なってゆきました。

 

それでも、知り合いや個人の方だけを相手に

仕事として成立させる事は難しく、平日は派遣を

しながら、土日は多い時には1日7〜8名の方の

カラー診断&メイクを行なっていました。

 

色の仕事だけで、自立して生活をしてゆけるように

なりたかった私は、同時にあらゆる会社に出向いては

営業をしました。

 

その頃には、色の世界では色彩検定というものも

出来ていて、理論も含めて色を、1から学び直そうと

学校にも通いました。

100万近い金額は大きな投資でしたが、当時の夫が

気持ちよく出してくれた時に、

「このお金は、パートやアルバイトではなく、

これから習う色で仕事をして、全額この人に返そう!」

と強く思っていました。

 

そうでないと自分でやった事にはならないと思ったのです。

 

1年間色彩の事を1から学び直し、資格を取得した頃、

幸いなことに、その色を学んだ専門校から

「うちで教える講師にならないか?」

と声をかけて頂き。。

 

5年近く各校舎で講師を務め、同時に、その専門校の

カラーコーディネーターコースを宣伝する為に、

活躍するカラーリストとという事で、宣伝に起用して頂き、

多くの撮影や雑誌取材、お仕事もやらせて頂きました。

 

私が最初に心に決めていた、色の仕事をして彼への全額返金は

こういったお仕事をさせて頂いたことで、叶いました。

 

その当時から今も、全く変わらないのは

自分で稼いだお金でやらない限りは、モノにはならない

という意識。

 

これだけは今も全く変わりません。

 

なので、20年間親にも銀行にもお金を借りた事はなく、

経営者をしている叔父達からの

「経営者は、銀行に借金が出来て一人前だ」

という言葉にも全く興味がありませんでした。

 

それをしないと出来ないくらいなら、辞めればいいと

さえ思ってきました。

これは無責任な意味でなく。

自分ひとりでやっているのに、借金して返せなくなったら

その方がご迷惑をかけるし、だからこそひたすら頑張って

これた気がします。

 

専門校で色彩を教えていた頃、同時にあちこちの

企業やホテル、百貨店に営業に回りました。

 

そして、ようやく、大手の保険会社さんが

カラーセミナーを企画してくれました。

 

私の写真や経歴、

「カラフルK」という名前も載せた印刷物を

頂いた時の感動は今も忘れる事は出来ません。

 

当時の私がようやく掴んだ大きなチャンスでした。

 

しかし、その当日を控えた一週間前に、

私は、病気で自分の血液の全てを失い、

生死を彷徨う自体となりました。

 

4ℓ近い輸血と6時間半にわたる手術、

医師の賢明な治療により

なんとか一命を取り留めてもらったものの

私が失ったものは自分の血液だけではなく

初めて掴んだチャンスも失くしました。

 

企業に多大なご迷惑をおかけして、謝罪に

伺った時にはすでに、違うカラーリストの方が

セミナーを行っていました。

 

長〜〜い(笑)

 

また続きはこんどにしますね笑3

読んで下さったかた、ありがとうございます

 

    LoveムーミンSatya