昨日のペタ
222
ああ、私にも和睦。
明日、両親がやってくる。
私の中の憂鬱。
滞在中、どれほど母のネガティブと向き合わされるのか?
いつも、クタクタになるのだ。
その時点で、私もネガティブになっている。
でも、メッセージのおかげで
母の、母たる部分に視点がいった。
孫と私にお米を持っていきたいから
車で行くねと。
ガティブにとらえると、米なんていいから
汽車で着てよと。
心配になるしとか…。
色々と…。
でも
そんな視点も捉え方も、私の都合。
価値観の世界。
母の純粋な愛すら、曲げてしまうのは私なのだ。
以前、クリスマスにと
こんな歳の私にケーキ代といって送ってきてくれた。
私は、娘に…と。
いつもなら、孫にという母だから、
むしろ、婆ちゃんからと言って娘に渡したく思った。
母と母のダブル効果。
でも、その後。
ついつい自分が母であることを優先していたが、
我が母にとっては、私は娘。
娘たる私に喜んでほしくて…と。
私が母親となったから、母親としての行動を
理解してくれるだろうと思っていた。
でも我が母は、いつもそうして自分より我が子を優先しているのを
母として思うところがあったのだと。
自分は、一人の娘でもあった。
娘の私が喜ぶのを見たい親心。
いくつになろうと、娘としての幸せをと望む母がいる。
孫ができ、娘が母となり…。
なんと、沢山の自分の立ち位置があることだろう。
ついつい我が親の、そんな親心も
鬱陶しく思っていた自分がいた。
感謝とは?
感謝しないと、感謝だとか意識にあるうちは
自分のわがままが多いのだと思った。
感謝は思考じゃないから。
ハートだからだ。
自然に愛で受け入れ
自然に居心地よくなっていて
お互いに幸せになれている。
一緒にいるだけで、幸せになれているはずだからだ。
特別なことじゃない。
だれしも本来備わってるものなのだ。
孫ののんちゃん。
彼女がそれを教えてくれている。
何もいらない。
ただ、笑顔がいい。
その笑顔だけで
どれだけ幸せを無条件に与えている事か。
泣いても愛しい。
何しても、愛しい。
期待などない。
愛だけだ。
そこに存在してるだけでいい。
だから
期待もいらない。
求める必要ない。
与えるだけで満足だ。
彼女が、魂からの笑顔で
人生を楽しんでくれさえすればいいから。
交換条件の愛は、限りない枯渇を生み出す。
与える愛は、限りない満足を生み出す。
どちらがいいか、選ぶのも主役の自分なんだ。
どちらを選ぶのも自由。
古い、親子時代のこと。
いつだって、塗り替えられるのは自分だ。
さて
私はどれだけ成長できたのかな。
それを試験にきてくれる両親に
感謝せなね。
↑
せなねってのが、みそよね
感謝は、教えなど関係ない。
自然に、こぼれ出るものだから。
あらゆるものに、
そうなれたら
どれほど楽なんでしょうね。
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