フラボワイアンさんの手作り石鹸。
私も、すっかり、これで、乾燥知らず~~。
とくに、冬はうれしい、アボカド入り!
エッセンスだけでなく、ほんとの生のアボカドを入れてくれるのは、
他ではなかなかないみたいですよん。
 
個人的には、今月、蟹座満月のときの「満月石鹸」が、
いいかんじに、石鹸化しつつありま~~す。
 
おすすめ。

ちょっと、占星術っぽい話を。

 

もうすぐ2度目のサターンリターンがくるなあと思う。

土星が、自分の土星に回帰するときは、

なんだか、それまでの29年を、一気に見直せよ~~っていう

メッセージがくるのかな~と、イメージしてみています。

 

 

それは、どんなかんじなのかなあ。

 

星星星星星星星星

 

月が牡羊なせいか、あんまり、コツコツ派ではなく、

長続きって、しないのだけど、

ふと、見渡すと、

こんな私でも、ずっと続いてるなという「習慣」がある。

 

それは、2つあって。

 

星その1つは、まさに自分の「月」の点検のために始めたもので、

それは、今も、続いているし、けっこう気にいってる習慣になっている。

 

星もうひとつは、いろんな思いの末、初めてみた習慣なんだけど、

それは、「水星」を、満足させてくれてるものだなあと、

思った。

 

星それから、もうひとつは、これも、今の私の生活には、もうすでに

なくてはならないものになってしまったものがあるんだけど、

それは、「火星」の満足だなあと、思える。

火星のネガ面「怒り」を、鎮めたりするにも、

とっても、有効な方法にもなっていたりするし。

(-)火星には、(+)火星を!

 

2度目のサターンリターンで、自分を見直すということは、

自分の「月」から、「土星」までを、ひとつづつ、見直してみること、

自分の手中にあるかということを、確かめてみること、

そういうことなんじゃないかな~と、

思いました。

 

 

とするとさ。

星金星・・・金星は、どした?

 

自分の生活の中に、

自分の手中の中に、

ちゃんとあると思えている「何か」はあるのか。

 

そ~なんだよ、やっぱり、星金星が、いちばん、苦手なのさ。

 

星金星って、なんだ。

 

恋愛とか、楽しいこととか、遊び、まして、お金などという解釈の金星は、

怠惰や破滅につながっている、金星のネガ面だよね。

真の金星は、そんな「他」をあてにした消費物なんかではない。

 

 

恋愛も、楽しみも、そしてお金にも、

そこには、「占有」欲が内在している。

 

 

そうではなく、

「他」の占有ではなく、自らが生み出したものへの占有、、、

感情でいうと、「愛おしい」という感じかなあ。

 

愛おしさを感じる創造物には、「生命」を感じる。

愛おしいという気持ちには、命が宿っている。

よく、手塩にかけた作品は、我が子のようだとも、表現されるしね。

 

 

愛おしさを感じられるほどの、何かを、

一時的なイベント的にではなく

生活の習慣の中に、

なにか、生み出すことができるかな。

あと、数年で、2度目のサターンリターン。

そのとき、問われる気がする。

 

 

そうそう。

最近、手相も、ぜんぜん変わってきたんだよ。

ずっと昔に、占い師荒らしをしてたころに、みてくれた占い師さんに、

また、みてもらいたいよ。笑

 

 

 

サマンサさん。来てくれてありがとうございます!

そうですね、こんなふうに、「集中する」時間に使っていただけたら

うれしいです!

 

それにしても!

この紋様!すごいですね。。。

私も、作成風景の動画を見せてもらって、

ちょっと真似てみたけど。。。

 

むずかしい~~~

 

一時、はまった、「ゼンタングル」みたいな、

それのもっと、複雑版のようです。

 

これは、ほんとに、下界を遮断して、集中しなければ、

解けないですな。

 

でも、

できたら、感動しますね~~!

できあがり!!楽しみにしています~~。

昨年の秋からすっかり久しぶり~~。

 

ところで。

「君の名は。」っていう映画をみました。それも、昨年の秋のことですが。

 

正直言って、アニメにはあまり興味はないし、

恋愛ジャンルにも、興味はなく、

観に行く予定はなかったけど、

あんまり多くの友人、知人が、

ぜひ見ておいで~~!っていうもんだから。。。。

きっと、好きなテーマだよ~~って。。。

いうもんだから。。。

 

そうかなあって、思ったけど、まあ、そんないうならって。。。

 

 

で。

 

結論だけいうと。

 

感動しました。

帰り道に、涙がとまらなかったです。

次々と、いろんな気持ちに、化学反応のようにリンクして、

いろいろ、いろいろ、

次々、思い及んでしまいました。

 

 

そろそろ、若干ネタバレしてもいいかなあと思って、

書きますが。

 

これって、最初の何十分かは、ただの、

高校生の変わったシチュエーションでの恋愛もののアニメ

(しかも、目新しくもない、不思議系・・・)・・・?ってかんじで、

勧めた人たちを、恨みながら観てました。

(帰ったら、ぜったい、文句いってやる!)

 

ところが、だんだん、もうひとつの、大きな自然現象(災害?)も、

テーマだということがわかり、

その、大きさと、ちょっとした現実感に焦って、

災害ものとして、見始めると、手に汗をにぎりました。

 

そういうことか~と思うと、感情移入して、

一緒に頑張る気持ちになったりして、

でも、ところどころ、不思議な瞬間がある。。。

あれ?どういうことかな?と思ってみていると。。。

 

なるほど、空間だけでなく、時間も、関係あるのかと、

わかるわけです。

 

そこで、けっこうドキリとしました。

 

(大丈夫かな?がっかりさせるネタバレしてないかな。。)

 

観てきたあとは、私も、人に、おすすめだよって

すすめているのですが。

 

どこに感動したの?と問われると・・・。

(実際、聞かれるし・・)

 

正直いって、この映画のストーリーそのものに、

めちゃくちゃ感動した。。。というわけではないのです。

 

災害ものなので、手に汗握って、一緒にドキドキしたりもしたけど。

 

終わったときは、

なるほどね・・・・、程度の気持ちでした。

 

でも。

 

映画館を出て、

日常の空間がそこにあって、

さて、家に帰って、ごはんでも作ろうかと思って

車のエンジンをかけたときに、

むしょうに、涙が出てきたのです。

 

災害がテーマであったこともあってか、

あたりまえに「日常」の雑踏があること、

こうして、見慣れた道を、いつものように、走れること、

そして、帰る家があることって、

ものすごい「幸せ」なことなんだと思ったら、

じわじわと、その幸せに、ドキドキしてきてしまいました。

 

 

そして。

主人公の二人が、すれ違う場面があるのだけど。

 

人って、空間ももちろんですが、

時間も、1秒ずれても、もう会えないんだ。

そのことを、思ったら、

そのタイミングが、ドンピシャ合って、

知りあえて、

仲よくできて、

会いたいねっていったら、会える関係の人って、

どれだけ尊い人たちなんだろうと思ったら、

ほんとに、ありがたすぎて、

涙がとまらなかったよ。

私と知り合いでいてくれる、みんなの顔を思って。。。

 

 

そうか、この映画の評価の高さって、

映像がきれいとか、

いろいろあるけど、

じつは、観た人の、それぞれの立場での、

感動へのリンクポイントがあって、

いろんな「見方」ができる、幅広さが、

すばらしいところなのかもしれないなって思いました。

 

高校生くらいなら、恋愛もののアニメとして、みたらいいと思います。

 

ある40代の男性の知人は、「好き」だけじゃ、

伝わらないじゃん!いう場面に

お互いを知るときの、

言葉が足らない後悔を思い出したと言ってました。

 

そして、逆に、その自分にリンクしてしまったポイントが、

きっと、いま、自分が大事にして生きてるポイントなのかもしれないですね。

 

それを、探るために、見に行くのも面白いかなあ。。。

 

もうひとつ、私が、リンクしてしまったポイントがあります。

それは。

 

ああいう「災害」の起きる時。

きっと、そこにいた人々の、SOSの想念って、

やっぱり、あると思うのです。

それは、本当に、東日本のときも、熊本のときも、

それ以外の、かなしい災害等のときにも、

発せられているのかもしれない。

 

でも。

あの映画のように、それを、受け取ってあげることが

誰もできなかった。

なので、たくさんの人が、無念ながら亡くなっていったこと。

 

普段。

無意識につながるとか、

瞑想をしたりとか、

天だの、

宇宙だの、に、ちょっと興味をもっているのに、

 

 

私は、何をやってんだ。

それは、自分のためのお遊びでしかないじゃないかと、

ただの「欲」じゃないかと、

とっても、反省してしまった。

たくさんの、無念な想念に対して、

すっごく申し訳なくて、

反省もしてしまった。

その涙も、しばらくとまりませんでした。

 

 

「君の名は。」を観て。。。

 

<mm>

 

 

 

 

子どもの頃、ピアノを習っていて、時々、発表会があった。
発表会の日まで、それなりに一生懸命練習をしたけど、
それでも、本番はものすごく緊張した。
上手くひけるかな、
間違えちゃうかな、
どうしよう、どうしよう。。。


曲名と名前が呼ばれて、舞台に上がり、
お辞儀をして、椅子に座る。
 

 

そして、最初に鍵盤に手をおく、
緊張感最高潮のそのとき、

88鍵ある鍵盤の右端から左端までの全部が、

すーっと、手の中におさまる感じがするときと、
ほんの2オクターブ分くらいしか、手の中におさまる感じがしないときがある。

もちろん、88鍵すべてが手の中におさまる感じがするときは、
ミスをせずに、

ひきたかったように、ひくことができた。

同じピアノなのに、
大きく感じたり、
小さく感じたりするのは、
不思議だなあと、子どものころから、思っていた。

 

その後も、いろいろな緊張する場面では、

ピアノじゃないのに、

あの手の感触が蘇る。

上手くいくかな、、、失敗するかなって、

ドキドキするとき、

両手が、ピアノを弾く形になっていて、

小指と薬指を、なるべく外側へ伸ばしているような

ピリピリ感がするのです。

 

音譜

 

対面するのにかなり緊張するある人がいた。

 

その人と会わなければならないと決まってからの

一ヶ月。。。

じつはずっと、胃が痛くなる思いをしていた。

何度か、夢にまで表れてしまい、

決して、「悪い」対面ではないのだけど、

私にとっては、とっても緊張する対面なのです。

 

覚悟を決めなくちゃ。

いやいや、たいしたことないって。

いろいろと準備ももちろん、

自問自答し続けて、一ヶ月ほどがたち、

いよいよ、当日になった。

 

そして。

ちょっと、びっくりした。

 

 

あれ。

こんな小さな人だったっけ??

 

その瞬間、両手の小指と薬指がくすぐったくなった。

 

あ。

知らぬ間に、また、両手を、ピアノを弾く形に広げてた。

 

あれ、この人、小さい。。

 

そう思ったら、緊張がゆるんだせいか、

指がくすぐったくなってきたのです。

 

そして。

なんとかなるじゃん。

そう、思えたのです。

 

同じ人が、

小さくも、大きくも見えたり、

感じたりするんだ。

 

 

 

 

 

先日、少し面白いワークを受けてきました。

 

そのワークは、誘導してもらって瞑想をしたりするのですが、

ほんとに「瞑想状態」になると、

私は、「言葉」をすべて忘れてしまうのです。

そんな方、いらっしゃいますかね。

 

 

今回だけでなく、以前にも何度か、ご縁があって

誘導してもらっての「瞑想」ってしたことがあるのだけど、

誘導してくれてるヒーラーの方が、

「そこには、何がありますか~」とか、

「何か、言ってみたいことがありますか~」とか、

やさしくきいてくれるのだけど、

そこに、たしかに、何かは見えてはいるし、

あるし、

何か、言いたい!うったえたい!ていう思いは、あるのだけど、

 

「それ」を表す「言葉、名詞」が、

まったく浮かんでこなくなるのです。

 

どんなことでもいいんですよ~とか、促してもらっても、

「いえ、違うんです~、見えているのですが、これの言葉がわかりません」

という、文章すら、わからなくて、

結局、黙っているまま、時間が過ぎてしまい、

 

あ~この人は、瞑想できてなかったんですね、と思われて、

終わったかも。

 

そして。

言葉におきかえられなかったものは、

覚めてしまうと、

記憶に残せてないのです。

 

なので。

 

なんか、すごくはっきりと、強いものがあったな、

という感じは、いつも残るのだけど、

それが何だったのか、

説明もできないし、

そもそも「覚えてない」のです。

 

みなさんと、シェアとか、すっごくしてみたいのに。。。

 

 

そして、いつも、孤独を感じます。

 

瞑想などという体験までじゃなくても、

わかってもらう手段がないって、

とっても、孤独なことですね。

 

また、通常の状態でも、

なかなか、いまの自分の気持ちをおきかえる言葉が浮かんでこなくて、

結果的に、黙って時間を過ごしてしまうこと、

ありますよね。

 

たいてい、何の意見ももってないと分類されてしまったり、

下手すると、「反抗的」と、感じられてしまったりする。。。

 

それすらも、そうじゃないんだ・・・という「言葉」も、

上手く浮かんでこないのです。

 

そして、そのまま、どんどん、流れていってしまう。

 

でも。

何にも、思ってない、感じてないわけじゃないんです。

すっごく、なにか、あるんです。

表現方法に迷っているのです。

 

 

 

私が、絵画は抽象画のほうが好きだったり、

音楽も、「歌詞」のないインストや、クラシックが好きだったりするのは、

それもあるのかもしれないです。

たぶん、言葉で表しきれないところに、何かがあるなあと、

ずっと感じているので、

抽象画とか、音だけの音楽の中に、

少しでも、それに近づけるものがないかなあと

ヒントになるものはないかなあと、

ずっと、探し続けているのかもしれないです。

 

 

あまり、言葉を発しない、とくに子どもがいたら、

それは、「何もないから」「わかってないから」ではなく、

まして、「反抗的だから」ではなく

もしかしたら、持て余すほどの何かを、じっと抱えているからかもしれないと

思ってみていただけると、ありがたいです。

 

 

記憶したり、考えをまとめたりするには、

「言葉」が必須なんだなあと思います。

 

星星星星星「言葉」は、水星。

 

私の水星は、12ハウスにいます。

心理占星術で、それを知ったとき、

心の底から、ほっとしました。

 

子どもの頃から、自閉症を疑われたり、

どこぞの、訓練センターに通わされたり、

思春期から大人になってからも、

たしかに、周りの人に迷惑かけてきただろうこの性質は、

なんでだろうと、

何の努力が足りないのだろうと

自分が一番、これをもてあましてきていた。

いっそのこと、正式な「病名」でもつけば

むしろ、納得できたのに、

そこまでもにもなれず。

 

水星が12ハウスにいるんだ。

そりゃあ、言葉は、出てこないよね。

 

あ。そうだったんだ。

よかった。

「私」のせい、ではないんだ。

「私の個性」って思っていいんだと、

やっと思えたのです。

 

 

こないだのワークは、

初めての方々との出会いとか、

みなさんとのシェアとかは、それなりに楽しかったのですが、

帰り道、長い電車に揺られながら、

ずっと、このことを、思い出し、

考えてました。

 

 

孤独感って、

突然、耳をふさがれて、

目もふさがれて、

小さな箱に押し込められるイメージで、

やはり、怖いことなんです。

 

ああ。

たしかに、閉所恐怖症でもありました。。。

 

                            いつかの夕景

 

<mm>

 

 

9月のアトリエテーマま、「若冲って・・」でした。

 

若冲の魅力は、いろいろあります。

 

若冲大好きな友人は、やはり、身近な生き物に、

ていねいに、小さくても輝く生命を、

吹き込んでいる作品に、感動するそうです。

 

青物問屋に生まれたってことが、

それは必然の目線だったかもしれないね。

私も、若冲「涅槃図」とか、好きです!

 

 

****************

 

9月に、テーマで集ってくれた方は、

ご用意した「ぬりえ」をやりながらの、

あれこれ話。

 

  

 

  

 

若冲ぬりえが、この「鳥獣花木図屏風」のものだったこともあって、

若冲の魅力そのいくつめかの、この「マス目」塗りを、

体験しました。

こんなかんじです~~。

 

「とりあえず、このひとマスを塗ればいいんだ~」って思えると

なんか楽しいかな。

 

素直なご感想です。

 

左側の方は、それでも最後は、「もう~~~!背景は、ばば~っと、水彩で、塗っちゃいたい!」ってことで、水彩で。

 

右側の方は、「・・・あとは、持って帰って、ゆっくりとひとつづつ、続きを塗ります」とのこと。

 

面白いですよね。

 

************

こちらは、別の機会で、私が模写したものです。

 

 

実際の「鳥獣花木図屏風」の原寸通り、1cm×1cmのマスを引いて、

そして、写経のように、端からひとマスづつ塗っていきました。

実際の若冲は、ひとマスに、もっと、緻密な3~5層塗りとか、裏塗りなども

施しているから、

も~~~っと、時間のかかる、緻密な作業だったと思います。

 

 

ほぉ~~~。

 

 

でも。

たったこれだけでも、わかったのは、

とてつもない広大なものも、

目の前の一歩からだということ。

そして、一歩を踏み出すときって、

じつは、「全体」を見ていないということ。

 

俯瞰する視点も大切だけど、

全体を忘れて、ほんの小さな限られたものだけを見る視点。

それが、本当の「全体」へ、形を成していくんだなあということに

気づきました。

俯瞰で、終わっていたら、それは、ただの「現実逃避」なのかな。

 

シンプルすぎるけど、

今日一日、

この一瞬を、ちゃんと、過ごそう。

「アレ」をやるには、この「些細な事務作業」

なんだよね~~。

 

*********

 

今月のテーマにちなんだ、ティータイムは

マス目から、キューブ型あんぱんを、ご用意してみました。

<代官山あんぱん>

 

*********

 

さて。

 

あ~~今日も、一日、終わった~、疲れたあ~と

最寄りの駅に降りたってみたら。。。。

 

 

ぅおおお~~~。

 

これはこれは!

今までこの駅に降り立つこと、何十年。

ぜんぜん、気づいてなかったけどぉ。

鳥獣花木図屏風じゃありませんか!

 

へんな、ドキドキ感を感じながら、

ひとマス、ひとマス、踏みしめて、

帰りましたよお。

 

<mm>

オイルをゆっくりと、混ぜていく作業だけど、

やっぱり、そこには、そのときの自分の「波」みたいのが、

伝わってるんだろうなと、

いつも思います。

 

「思い・・」とか。

 

それをまた、一ヶ月、石鹸化させるのに、寝かせておく期間も、

とっても大事な気がします。

 

そうやってできた石鹸をつかうたび、

あ~、あのときは、あんなことを考えていたなと、

お風呂で、しみじみ、ここ数か月の流れを思ったりしてま~す。

 

石鹸作り、

難しくないけど、

楽しくって、深いよ。

 

************

 

今はね、

「デトックス」の話をきいたときに作った石鹸を使用中。

たしかに。

ここ数ヶ月、いろいろと、離して、削って、断って・・・、

すっきりして、進んだ流れもありまして。

 

そしたら。

急に、どうしても、離したくないもの、守りたいものに

気づいてしまった。

 

外へ離していく方向のエネルギーが、

急にうらめしくなって、

「大事に守りたい」という気持ちが、強くなった。

 

捨てることが、目的なのではなく、

こうして、本当に大切なものが、みつけていけることが、

ほんとの「断捨離」なのかもしれないね。

 

 

大切なものを、守りたい、方向のエネルギーが、

いまは、ほしいなあ~デス。

10月は、牡羊の満月ですね。

 


絵を描く、参加者になって、

すてきな「絵手紙」のワークに参加しました。

 

なにより!

まずここの場所がステキ!

 

CO-MINKA国彩館

夜になっちゃったけど、夜のこの雰囲気もすてきです。

 

こちらで、「絵葉書ワークショップ」参加してきました。

 

な~~んか、すっごく楽しかったなあ。

ほっとしました。癒されたってやつですね。

 

静かな古民家での、私と同年や先輩方が集まって、

落ち着いた、静かな大人な雰囲気がほっとしました。

 

墨と水彩は、先生は、ささ~~っと描いているけど、

ほんとに難しいです。

思い通りにならなくて、何度も、落ち込みました。。。。

 

これ、まず、練習ね。。。

すでに・・・無理かも、とか思ってしまった・・・。ショボーン

 

それでも、どんどんせかされて、描いていくうちに

なんとかなりました~~

・・かなあ。


みんな、すてき!

なんか、形になってしまうのね~~。それもまた、妙ですね。

 

思いを表現しようと緻密な作業が好きなときは、

わ~~えーん

だけど。

 

それでも、ゆっくり、水加減とか、筆とか、絵の具の具合とかと

向きあいます。。。

そうするしかないっ!

というわけで。

結局、どんな画材も、画風も、

もともとの、自分のスタイルで、向き合うしかないんだなと、実感。。。

 

そして、このモデルになってくれた、「秋」を演じてくれた実や、葉っぱ。。

わざわざ、東北のほうなどから、

取り寄せてくれたそうです!!

 

これまた、いい~~雰囲気ですよね。

 

  

 

作品を見ながら、お茶と和菓子をいただきました。

じゃがいもの、お饅頭!THE・じゃがいもの、味がしました。

 

ていねいに、しつらえられた空間で、

静かに、それでいて楽しく、自分のやることに集中する。

こんな時間は、本当に、本当に大切だね~。

 

うちのアトリエにも、見習いたいことが、

いっぱい。

 

絵を描いたり、秋らしいものがたくさん置いてあったり、

こうして、「視覚」に主をおいた時間と空間は、

相対的に、「言葉」が少なくなるのです。

 

「言葉」だけが、勢いづいて、次々飛び交う「場」からは、

ちょっと、離れたいというときにも、

とてもいい時間。

 

 

*村西江津先生の、絵手紙講座です!

 

<mm>

~~なんだそうです。エッシャー。

異次元っていうワードには、どうも、立ち寄ってしまいがち。。。

 

それは

最近だけでない

ず~~っと、子どものころからね。

 

エッシャー展 <横浜そごう美術館にて> 10月10日までダヨ

行ってきました。

 

ハウステンボスコレクションです。

版画家としての初期作品は、ネットで検索しても

なかなか出てこないくらい珍しいよ。

 

たとえば 「蜘蛛の巣」<図録から>

 

「マリア病院の玄関」<図録から>

 

 

版画出発だからか、「黒」が強調されるし、

「黒」が魅力的に生きてくるものとして、

「夜」  「影⇔光」  「裏」  「緻密」なんかが、

あるようで、そんなのが、描かれているものが多い。

 

そこから、やがて、

アルハンブラ宮殿の繰り返しの文様に魅かれて、

エッシャーは、あれをすべて、緻密に写生したそうです。

そして、メタモルフォーゼ(変容)のモチーフが生まれてきた。

 

よく知られているエッシャーの絵は、

数学的だったり、物理学的だったりしてるけど、

じつは本人は、中学の数学も苦手なほどで、

ただ、ひたすらに、「方眼紙」を使っただけだそうです。

 

ただただ、「方眼紙」を使って、

「夜の闇で、私が見たものを、あなたにわかってもらいたくて」

という動機で、

あれだけの作品を描いたそうです。

「空間のゆがみが見えていた人」と評されてます。

 

 

よく、「だまし絵」と言われるけど、

だましているわけではなく、見たものを表現しただけ。

 

視点の変化とか、

あたりまえと思っているものを疑うとか、

異次元とか。。。

まるで、そちらをアウトローに位置付けしているけれど、

エッシャーが見えていたような世界こそが、

「常識」になる日も

くるんじゃないかと思ったりします。

 

エッシャーが、版画の黒から、入って、「変容」へ向かったように、

そういう入口って

「黒」なのかなあ~とも思いました。

 

 

 

やっぱり、好き。

 

<mm>