手作り石鹸、フラボワイアンさんのコラボ講座です。

私も、1回目は行けたのですが、2回目以降、、、休みがとれなくて、

出席できず、残念で・・・。

 

漢方とか、アーユルヴェーダとかいろいろあって、

私も、詳しくはないのですが、

ただ、なんとなく、心も身体も、「一部分だけをみる」のではなく、

いつも、「全体のバランスと調整だよなあ」とは思ってます。

 

石鹸は、考えてみたら、毎日、肌にふれるもの。

その季節の自分の気分や体調もふくめて、

じっくり「石鹸化」の一ヶ月も含めて、

自分でつくるって、いいなと思います。

 

おすすめで~す!


ハロウィンの季節になりましたね。

蜘蛛の巣リース、つくってみました。

この写真は、Facebookにも、アトリエのページにも、アップしたので、

しつこいのですが、

この、ハロウィン カラーを眺めていて

思いました。

 

 

オレンジ、紫、みどり・・・。これに黒だよね。

この組み合わせは、

あ~、ハロウィンだ~って感じがしますね。

 

これは、もともと、何の色なんでしょ。

 

オレンジは、かぼちゃなのかな。

紫は、何からきたのかなあ。

まあ、西洋の文化なので、詳しいことはよくわかりませんが、

色が与える心理的には、よくできてるなあと思いました。

 

要するに、中間色の三色ですね。

オレンジ、紫、みどり・・。

それに、黒を加えて。。。

 

そりゃあ、

不安や、不安定さを、呼ぶよね。通常は。

 

夏の、あげあげから、冬への通過時期に、

たしかに、感じておくべき、「色」かもしれませんね。

心にも、身体にも。

 

そんな自然の流れに合っていたから、

この「ハロウィン」という西洋文化が、

根付くことができたのかもしれないなと思いました。

「色」から考察してみてもね。

 

<mm>

 

<続く>より

 

そして1945年。

 

戦争は、直接的に、多くの「破壊」でもあるけど、

心はもちろん、価値観とか、

拠り所とか、

見えないものも、すべて破壊していった。

 

表現することという力は、

そこから、まず、どうやって新しい芽を吹かせていったか。

 

今回の展示では、

アンリ・ヴァランシの「ピンクの交響曲」を展示していた。<画集より>

 

ムジカイズム(音楽主義)といって、

音が色を呼び覚ますという試みだそう。

 

すべて破壊されても、

いや、すべて破壊されたからこそなのか、

最初に拠り所につかんだのは、

やはり「自分の感覚」だったということなのかな。

 

静かに、感動してしまった。。。

感動というか、嬉しく思ってしまった。

 

生きていることを、実感するには、

自分の感覚に、拠り所を、もつこと、

やはり、それでいいのだなと思った。

それが、幸福感にもつながっている、きっと。

 

それからは、それを証明するかのように、

抽象画が、とても増える。

 

その抽象表現も、多様化し始め、

手法にこだわったり、

素材の物質そのものにこだわったり

色そのものを、追究したり。。。

 

そして、その視点を追いかけて、

アールブリュットという、

子ども、精神障がい者や、未開の人々という、

「文化」にさらされてないとされる存在に、

注目するようになる。

アールブリュット=生の芸術として、

フォーカスされ始めたんだよね。

 

これは、デュビュッフェ「騒がしい食卓」<画集より>

 

これは、電話をしながら、なんとなく落書きしてたものを、

作品にしたものだそう。

あー。それでいいなら、誰だって、経験あるよね~~。

 

この、既成概念をこわそう、こわそうとする方向は、

まあ、現代アートを見ていると、

行き過ぎて、単なる、「奇をてらった」だけに走ってる?と

思っちゃうものも、あるのだけど、

「新しい」!ものではなく、

1945年の「破壊」から、始まった流れなのかなとも思う。

 

人類全体が抱えている「トラウマ」かな。

 

歴史って、好きじゃない。

日本史も世界史も、死ぬほど嫌いだった。

過ぎたことなんて、どーだっていいじゃん!

 

だけど、

こうして、確実に、みんな「歴史」の中に生きている。

肉体だけでなく、

心も、逃れようもなく、

みんなと一緒に、流れの中で、生きている。

 

それを、深く実感しながら、

それでも、こうして、たくさんの先輩たちが、

そこに抗おうともしている。

 

身を任せるのも、

抗うことも、

どちらかだけが「正解」なのではなく、

こうして、こうし続けることが、

生命であり、

幸福感は、そのスキマにあるのかな。

 

そんなことを、考えました。

 

 

リサとガスパールの、リサちゃんは、ポンピドゥーセンターのパイプの中に

住んでるらしいよん。

親善大使~~

 

<mm>

<続く>より

 

それからは、

デュシャンの「自転車の車輪」のように、

創作者だけでなく、見た人も、

「これは、なんなんだ、どういうことなんだ」と

考えさえ、視点を変えていく体験をさせてくれるような

作品が続きます。

 

抽象画が増え始めるのも、

感じたこと、感覚を表現することから、

「心」の風景そのものを写し取ろうと、

その試みを、たくさんの画家がし始めたからなんだろうね。

 

芸術作品というものが、

「生活する人」の手になってきたのだなあ・・・・。

 

こちらも、大好きなカンデンスキー、なんだけど、

「30」 <画集より>

 

これも、パッと見、カンデンスキーぽくないんだよね。

それまでの、幾何学模様から、

微生物や細胞などの、生命を感じさせるモチーフに

なった作品らしいです。

 

心の追及は、やはり「生命」とはに、行きつくのだろうか。

 

そうなると。

「戦争」は、いかなる業界においても、

最大の危機だったよね。

 

作品にも、意識してか、無意識か。。

その色あいが濃くなってきます。

 

クレバン「寺院」<画集>より

 

色はきれいなのに、

ちょっと、こわい。。。

 

<続く>

 

<mm>

 

 


 

 

 

 

「ポンピドゥー センター 傑作展」at東京都美術館

 

おもしろい展示でした。

 

画家自身が、作品に、ひとことコメントを、しているのも、面白かったし、

一年一作品で、構成されているのも、歴史を体感できます。

1945年は、世界的に、空白の一年だったんだ。

ネタばらしになりますが、1945年の展示だけ、何もなくて、

天井から、ピアフの「バラ色の人生」がかすかにきこえてくる演出です。

 

 

「表現」することも、こうして、歴史的な流れの中で、みていくと、

表現することですらも、歴史の流れの中に、浮かんできていると

感じました。

 

それが、歴史を「つくってきた」のか、やはり「流されただけ」なのか

それとも、「それこそ、人々と共にあった証」だったのか。。。。

 

私は、「歴史」が好きではないので、

(過ぎたことなんて、どーでもいいじゃん~~!という理由で)

おおいに、その「在り方」を考えこんでしまいました。

 

*****************

 

展示は1907年から始まります。

 

ブラックの「レック湾」 <画集より>

キュビスムの代表者だと思っていて、大好きなブラックが、

初期のフォーブの作品の方を展示されてたことにも、

いきなりびっくり・・・・。

フォービスムって、それまでの「宗教画」みたいな写実主義から

自分の感覚的なことを表現していこうとする

大変換だよね~。

 

芸術とか、創作することを、それまでは、

神への奉納、または、貴族への献上だったけど、

自分の感じることや、自分の周りの生活という軸に、

引き降ろしたのだろうなと、思った。

 

それは、ただ、「芸術」を我が手にしただけでなく、

「幸福の追及」も、「上様」からのおさがりものではなく、

我が手によるものにするという

当時の彼らの思いの変遷だったのではないかとも。

 

 

<続く>

 

<mm>

 

9月のアトリエの「テーマコーナー」は
「若冲」にしました。



若冲が大好きというお友達に触発されて、
私も、興味を持ち始めました。


こないだの「若冲展」!!は。。。
残念ながら、あの混雑っぷりに、あきらめてしまいましたが・・・しょぼん


もともと、私も、細密画は好きです。


若冲の、極彩色の方に魅力を感じることも
あるのかな。


なかでも、鳥獣花木図の、マス目は、
ひとマス、ひとマス、ぬりこめていく様は、
写経のようでもあるとの解説もあり、


それは、
無心に色を塗ること、
そのときの心の状態が


そう、まさに、写経をしているときと
似ているかもしれない


若冲が大好き!という方も、
若冲って、だれ?何?という方も、
ぜひ遊びにきてください。

若冲について語り合うもいいし、
画集を眺めるだけでも。

あ、こんな若冲塗り絵も、用意しました。




マス目だけの塗り絵も用意しました。
 ひたすらに、マス目を、いろいろな色で
 ぬりこめていくのもいいもんです。

ついでに、「写経」も用意してみました。チョキ





もちろん、若冲なんかに、興味を持たずに、
自由に、他のことをやりにいらしても、
OKです!
フリーなんで。
ニコニコ


ま、こんなかんじで、
9月から、ぼちぼち、やっていきま~~す。
何かが起こることで、

それに対して、

反応したり、

判断したり、

ある感情を持ったり、持たされたりする。。。


のではなく。。。。


まず、ある感情を持ちたいという欲求が興っていて、

その感情をもつことで、

自分の判断を、選択をどうしたいかを決断して、

そして、最後に、

それが起こるべく「出来事」を、起こす。



もうずいぶん前に、この考え方を知ってから、

いまも、私は、そうなんじゃないかと

考えています。


これもずっと前のこと。

朝方の、ちょうど眠りからさめかけるころ、
夢を見ていました。
夢だとわかっていたので、いわゆる明晰夢ってやつですね。

遠く離れたある人物を眺めていたのですが、
その人物に対しての、強烈な感情が
起きました。
それは、そちらの人物から、
エネルギーが反射されてくることも、感じました。
あ~~、きたきた~、なんか、きた~~と、
思っていたら、


ゴツンと、上から、実際に
「置時計」が頭に落ちてきました。

その瞬間は、不思議でした。
夢の映像としては、別のかたまりが、
私をめがけて、目前まで飛んできていて、
あ~~、ぶつかる~~っていう瞬間まで
見ていました。

実際には、「置時計」が直撃したので、
肉体的にも、その衝撃と痛みを
体験したわけです。


それは、おそらく、「実際」には、
一瞬のできごとだったと思います。

でも、夢の中では、それなりにストーリーがあって、
時間が流れていました。




そのときに、思いました。



どの「時間」が本当とか、
真実はひとつ、なんてことはないんだなと。

そして、それらは、パラレルワールドだとしても、
今の私が、決めるしかないのだなと。


また。

「出来事」が、一番最後に起きて、
その前に、すでに、その出来事についての判断は、終えているし、
その判断に至らせるための「感情」の付随させ方も、
決めているんだという、
その順序も、
そのとき、納得しました。


とするなら。

追及する価値のあることって、
この感情を体験したかった意味はなんだろうってこと、
それだけなんだなと思います。


この考え方に出会う前は、
ある意味、楽でした。

何かが起きた。
だから、こんな感情になり、
これに、困惑してる!

そう、考えて、原因や理由、
その意味さえも、
「他」という、膨大で曖昧なものに、
求めてしまえばよかったから。


でも。
今は、それでは、何も清くなっていかない。

私は一体なにを、体験したいのか。
それしか、滞おりを脱する術がないから。

それがさ。

ひとつならまだしも、
最近は、合わせ技で、次々ふってくる。


一度、「自分」から離れて眺めてみないと。




フリーアトリエ「Colorful Being」
プレオープンにて。


アトリエには、120色の水彩色鉛筆があります。
繊細に違う色は、
鋭敏になっている気持ちを、
より鋭く見極めたいときにはいいですね。



そして。
今日、思ったこれらの「言葉」は、
この絵を、描いてみてから、
気づいたことです。

ただただ、色とたわむれようとしただけで、
描いて、
塗って。。。

そして、できたこの絵から、
今日の言葉が、表層してきたのです。



「あ~~。なんか、距離をおきたがっているなあ」って。


<アトリエにて>

やりたいことって、理想の中にではなく、
ごく身近な日常、あるいは、
日常的な感情の中にあった。



そして、それが、いわゆる「本当のやりたいこと」なのかどうかの
チェックのポイントは、
じつは、批判をくらってみたときに、わかった。



「本当にやりたいこと」であった場合は、
批判されたとき、
たしかに、感情は、悲しくなり、
その感情で、やはりやめようかという気持ちにはなったが、
「変更」しようとは、思わなかった点だ。




その道が、
たとえ、牛歩であっても
確かなものを、積み上げてきているとしたら、
次の石(一歩)を、つみあげる、踏み出すには、
「する」のか「しない」のかの
二つの選択で、
「変更」という選択肢はなかった。



YESはもとより、
NOも、前進の選択だったといえるのかもしれない。
変更するよりも
NOと、決断できたことが、
より、「自分」へと
進んでこれたのかもしれないな。




というわけで。

一から、作り直してみた。


アートセラピーを学び始めてから、
ワークショップをやり始めてからも、
ず~~~っと、こだわっていた。

「こども」のアトリエをやりたいのではない。

「大人の」水彩画教室を、やりたいのではない。

なんだろう。。


やっと、見えてきました。

簡単なこと。

こどもも、大人も、
そして、材料のくくりなんかない。

静かに、画材や素材と向き合い、
自分と向き合って、
無心になって過ごせる「時間」が
おとなにも、
こどもにも、
いちばん大事だったということです。


そんなイメージを、
ちゃんとお伝えできるように。

リーフ、作り直しました。






ご興味がありましたら、
どうぞ、個人的にご連絡くださいませ。。。。
ブログも久しぶりに、あけました。
ここ数ヶ月、ほんとに、予測もしてなかったような
いろいろなことが起こり・・・、
いまだ、着地したわけではないのですが・・・。

それぞれ、何がどうなったかは、いずれ追々。。。

そのうちのひとつとして。

やっと、常設の「アトリエ」をオープンすることにしました。




これまでは、「出張」でのワークショップ、アトリエのみでした。
「出張型」は、「場」との出会いなど、サプライズなこともあり、
また、その工夫すらも、楽しいのですが、
それでも、どこかで、
「私のアトリエ」イメージとは・・・と、
ずっと思い描き続けていて、
常設するアトリエを、やっとオープンするに至りました。
(それでも、まだ、3割くらいのイメージなんですけどね・・)


さて。
やっと、アトリエのオープンだということで、
これまた、ありがたいことに、
思いもかけない「ご縁」の方々やら、
ずっと支援してくれていた方々の
具体的な応援もいただいて、
お手伝いや、広報もしてもらってきました。。。。
アトリエ経験者の方にアドバイスいただいて、
具体的な調達品も準備手配しました。

チラシパンフレットも、
お知恵をいただきながら、
作成しました。
アトリエ用に、Facebookや、ブログHP
つくりかけていました。

通いたいです!と、早々とお申込みくださった方も!


おやしらず


でも。
まだ、何かがちがう、、、
ごめんなさい、ここまで、応援してくださった方々には、
申し訳ないような気持ちもするのですが。。。

何か、ちょっと違うんだ。。。


そこに、はまってしまってから、
もう一度、一から、考え直しました。

そもそも、「アトリエ」とは何か。

アートする体験に、なぜ、ずっとこだわっているのか。

私が、誰かに伝えられることがあるとしたら、
唯一だと思っていることは、
何だったか



それを思い出すべく、
ここしばらく、自分の作品に没頭しておりました。
そんなこと、宣言することすら
あたりまえすぎて、恥ずかしいくらいです。


描きたい形を、納得いくように描けるまで
対象をみつめ続ける時間。
無心で、色をぬりこめる時間。
いろいろな道具を駆使して、微妙なバランスで、
組み立てをしていく時間。
道具や素材のいろいろな臭いや、手触り・・・。


そして、気づいた、といより、
思い出しました。

何も、解決策が浮かぶわけでも、
新しいアイデアがわいてくるわけでもない。
でも、
この「没頭する時間」「無になれる時間」というものが、
ただただ、
「生きる力」になるということ。



私が、提供したいと思っているのは、
その「時間」です。

フリーアトリエでは、
そういう時間を、提供したいと思っています。


というわけで。

たくさんの人にきてください!とコメントした
チラシも、パンフレットも、
すべて処分しました。
一部のブログは、連絡用にアップするかもしれませんが、
その他SNSは、削除しました。

はい。
知る人ぞ知る、隠れ家的なアトリエ。
一枠の定員3~4名様で、
静かに、没頭していただける時間と空間、
そんなアトリエ作りを
しようと思います。



まだ、画材や調度品が、入ってきてませんが、
こんな場所です。




それぞれが、好きな画材や道具で、
なにか作ったりして、
静かに過ごしたあと、
ゆっくりと、お茶でもしていっていただけたら。

ご希望がない限りは、
こちらから、なにかお伺いしたり、
カウンセリング的なことは、いたしません。

なんか、お話したいことがあるときは、
もちろん、
ゆっくり、お話しましょう。


結局。
あたりまえですが、
私自身が、こんなアトリエに、
通ってみたかったなあという形なんです。



広報は、基本的に、今のところ、口コミのみですが、
ここのブログには、
私の個人日記なので、
時々、記しておこうかなと思っています。


晴れ獅子座太陽のラストの日に。

お月様おっと、月は牡羊座だった。ニコニコ