昭和の夏の過ごし方第2弾は『海』やで~爆  笑

楽しい海やけど、恐ろしい話もあるで。

 

 

瀬戸内海

 

 

うちの父の生まれ故郷が瀬戸内海に浮かぶ島のひとつおねがい

 

亡き父の実家は柑橘類を育ている農家やった。

 

海もすぐ目の前ウインク

 

すごい恵まれている乙女のトキメキいなか。

 

10歳くらいまでは家族で毎夏出かけていた。

 

瀬戸内海は波が穏やかで、泳ぎが得意やなくても安心。

まぁ泳ぐというより海岸で遊んでたけどね。

 

必ずやることが『ニシ探し』

 

現地の人達が『ニシ』と呼ぶ貝は2cmくらいで

岩にくっついてる。

タニシに似ている。

 

小さめのバケツに一杯くらい集める。

 

綺麗に洗ってから沸騰した塩水に入れてたと思う。

 

そして針で貝殻から抜いて食べる

これがすごい美味しいねんチュー

その頃私が大人やったら日本酒日本酒のあてにしてたやろな。

 

サザエの塩焼きとかが苦手の人はきっと食べられへんな。

 

こうやって父のお盆休みに瀬戸内海で過ごすから日焼けは絶対。

当時は『色黒』が威張ってられた時代。

私は赤くならずにすぐに黒くなる肌やったので自慢してた。

 

夏休み明け、クラスで一番日焼けした人を選ぶ日があった(学級会の中でやったかな。昭和やな、今では考えられへん)

私は小3の時、クラスで1位になった!

 

そして今は顔のシミを取るのに必死のおばちゃんですわショボーン

 

 

 

日本海

 

 

私が小3のときかな、父は車を購入した。

前からうちの家族はよく出かけたけど、今度は車でや。

 

『夏は海やで』と思ってたんか知らんけど、瀬戸内海だけやなく、日本海にも足を延ばした。

 

京都というと、寺社しか浮かばない人も多いと思うけど、

京都は海もあるんやでキラキラ

当時、若狭湾は海水浴場で人気が出ていた。

 

 

この地図上の『小浜』というところに行った。

 

日本海は波が結構強い

遊び方は浮き輪で波に乗るって感じ。

それはそれで面白い。

 

しかし、悲劇が起きた。。。

 

我々家族が砂浜でほっこりしていると。。。

10人くらいの人々が波打ち際でワサワサしている。

 

そして私達がいる場所からほんの1mくらいしか離れてない砂浜に

男性が運ばれて来た

 

顔は生気がない。

息してないかも。

 

亡くなっている人の姿を初めて見た。

ショックやった。

 

その後

日本海には大学生のときに2,3回行ったかな。

ああ、日本海、また別の話題があるわ。

別の機会に書かせていただきます。

 

 

 

太平洋

 

 

太平洋は大阪からなら和歌山。

温泉もある白浜

 

小1の時に初めて『ホテル』と呼ばれる宿泊施設に泊まったんが白浜やわ。

ここへは電車で行った。

 

『ホテル』には海水プールがあって、そこから海を眺めることができた。

ちょっと日常生活から離れた気持ちになった。

 

私の小1のときの夏休みの絵日記にちゃんと書いてあったわ。

『家族で白浜に行った。プールで泳ぎました』

 

これはええ思い出やわおねがいラブラブ

 

 

 

ここまでお読みいただいてありがとうございます。

皆さんも海の思い出はありますか?

 

これから海や川に行かれる方は、どうぞお気をつけて楽しんできてくださいね!

 

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